第二話


自己紹介

「おかわりーっ!」
 
 大きな声が食卓に響く。
「はいはーい、ちょっと待ってね」
 アルトは茶碗を受け取って立ち上がった。そのまま、慣れた手つきで茶碗にご飯をよそっていく。紺のエプロンを身に纏った姿は、正しく主夫そのものだ。
 アルトの作る朝食は、どれも驚くくらい美味かった。
 炊きたての白米に味噌汁。
 川で取れたばかりの魚。
 何種類ものパンと卵料理。
 その他に、ヨーグルトやフルーツの盛り合わせまである。先ほどルナが持ってきた果物は『クルトの実』というらしく、オレンジの様に若干の酸味と甘みが絶 妙で非常に美味だった。
 最初はなぜ和食と洋食がごちゃまぜなのかと疑問に思ったのだが、その疑問はすぐに解決した。ブレイズ、ウィル、カイルの三人は主にご飯を、一方、ルナと アルトは主にパンを食べている。テーブルに並んだ食事の量はホームの食事より多そうだったが、それでも順調なペースで皆の(主にカイルとウィルの)胃袋に 収まっていた。
「どう、口に合う?」
「うん、すごく美味しいよ……」
 ご飯をよそいながら、アルトはライトに尋ねてきた。それに答えながらも、ライトは夢中になって料理を腹に詰め込んでいく。消耗していたせいか、いつもよ り腹がすいていたようだ。
「よく食べるな、バカ喰い兄弟並だ」
 ブレイズが呆れたように呟いた。
「師匠、バカってなんだよっ!」
「カイル、俺は『バカ』とは言ってない、『バカ喰い』と言ったんだ。わかったか? 馬鹿」
「えっ、うん、わかった…………って、師匠! やっぱバカって言ってんじゃんか!!」
 先程やってきた茶髪の少年・カイルが、大声を出しながら料理を口に詰め込んでいく。
 それは十分前のこと。
 
 カイルは玄関のドアを開けて入ってくるなり、ライトの側まで駆け寄ってきた。
「あーっ、オマエ、もう大丈夫なのか!?」
「う、うん……もしかして、君が……カイル? あ、あの…………助けてくれて、ありがとう」
「おうっ、気にすんなって! 困ったときはお互い様って言うじゃんかっ」
 カイルはそう言ってライトの肩を叩いたのだった。
 
「はははっ、カイル、やっぱりバカ呼ばわりだねー」
「バカ兄弟って言われてんだからッ、お前も一緒だ!」
 カイルに対して、赤髪の少年・ウィルがからかうように話している。先ほどから話を聞いていると、どうやら二人は兄弟らしい。二人の顔立ちはあまり似てい ないから、言われなければ気付かないだろう。
「ねぇ、ブレイズ。うちのバカ兄貴、別名・カイルがあんな事言ってるんですけどー……」
「……俺をお前等のテンションに巻き込むな」
 ウィルの言葉に、ブレイズかうんざりしたようにため息をつく。そういえば、ウィルだけがブレイズの事を呼び捨てだが、これにも何か理由があるのだろう か。
「でも、先生。カイルとウィルがいると明るくなって、楽しくないですか?」
「それはな、ルナ。お前がたまに来るからだ。毎日付き合わされる俺の身にもなれ……」
「は、はぁ……」
「はい、ウィル。おかわりのご飯」
「あっ、ありがと。アルト」
「アルト、オレもおかわりっ」
「はいはーい」
 食事をしながら、隙間なく会話が繰り広げられている。
 ライトはホームの食事風景を思い出していた。育ち盛りの子供達が十人以上も暮しているだけあって、食事時は賑やか……というより少々やかましい。それで も、家族みんなで食事をするのは本当に楽しかった。
 今頃、みんなも食事をしているのだろうか。
 それとも……食事どころじゃなくなっているのだろうか…………。
 不安は募るばかりで、何も解決していない。
 だが、不思議とこの世界に来た事自体に対する違和感はない。先ほどのブレイズとの会話の中で、ライトの中では 一つの結論が出ていた。
 『魔法』、『クルト』、『カイゼル』、『トルティーヤ』……。
 もしかして、ここは自分がいた世界とは違うのではないか。いわゆる、パラレルワールド、平行世界というものなのではないか。
 言葉は通じるけど、魔法がある世界。
 食べ物も、服装も似ているけど、自分のいた町がない世界。
 だが、まだ数時間しか経っていないにもかかわらず、ライトはこの世界に自分が順応しているのを感じていた。
 恐怖はまったく感じない。
 むしろ、興奮してい る自分がいるのだ。
 
 ――そうだ、怖いんじゃない。この手の震えは……興奮、しているんだ…………。

「さて……」
 あらかた食事も終わり、みんなが落ち着いた頃、ブレイズが話を切り出した。
「……みんな知っての通り、我々は今日、新たな客人を迎えている」
 ブレイズは言葉を切って、ライトの方を向く。
「早速だが、お互いのことを知るためにも、当診療所恒例の自己紹介を始めようと思う。今回の客人は何やら事情を抱えているようだが、とりあえず互いを少し でも理解せんことには始まらんからな。まずはアルト、お前からだ」
 ブレイズはやけに慣れた口調で話を進めていく。恒例と言っていることから、もしかすると客を迎え入れるのに慣れているのかもしれない。
「うん、わかったよ」
 ブレイズの言葉を受け、アルトがさっと立ち上がる。長めの銀色の髪がふわりと揺れ、尖った耳が髪の隙間から垣間見えた。
「名乗るのは二回目だね。僕の名前はアルト、フルネームはアルト・クリュッセル。年は13歳で、髪と耳を見てもらえばわかると思うけど、一応エルフ。仕事 は研究 職についてるから、普段は部屋で仕事してるね。後は兄さんの助手として、診療所に来る患者さんを診察したりしてるよ。趣味は…………う〜ん、家 事全般と、あとは武器改造かな…………うん、そんなとこだね。以上っ、これで僕はおしまい! それじゃあ……次はバカイル!」
 ライトに向かって一気に捲し立てると、アルトはニッコリ笑って椅子に座った。エルフという、ゲームの世界でしか聞かないような言葉を聞き、気分が落ち着 かなくなる。
 やはり、ここはライ トのいた世界とは違う世界なのだ。
「アルト、お前までバカって言うなよっ!」
 大きな声を上げて、今度はカイルが立ち上がった。
「えーっと……俺の名前はカイル・クロスフォード。年は16。この村で猟師をやってる。その他には自警団にも入ってっから、村の周りを見回ったりしてる ぜ。漁師だけじゃ、家族二人は喰っていけねぇからな……後は毎日、師匠を手伝ったり、学校行ったりって感じだ…………趣味は……う〜ん……」
「どうせ食べることと寝ることでしょ」
「うっせぇ、ウィル。黙ってろ!」
 ウィルを怒鳴りつけて、カイルはふう、と一息ついた。そのまま考え込むようにして、う〜ん、えーっと、趣味なぁ……などと唸っている。やがて……。
「……まぁ、動物観察とかかな」
 散々長々と悩んだ末に、カイルは一言そう呟いた。
「…………まぁ、どちらかと言えば動物に近いからね」
「ふっふっふ、アルトくん、面白い事言うねー!!」
「ちょ、カイルっ、髪引っ張るなー!!」
 カイルとアルト、二人が取っ組み合いを始めた。
 アルトの銀の長髪を引っ張るカイルと、カイルの頬を抓っているアルトで、互角の戦いが繰り広げられている。ブレイズがはぁ、と軽くため息をついたが、す ぐに二人から目を離し、静観の構えを取った。
「さてと……では次はボクだね」
 はしゃぐ二人を尻目に、ウィルが立ち上がり自己紹介を始めた。
 二人の喧嘩には慣れているのか、誰もそれを止め様とはしない。横目でちらりと様子を窺うと、アルトに対してカイルの関節技が見事に決まっていた。
「ほれほれ、参ったか!」
「痛い痛い痛いっ! 折れるっ、折れるって! ちょっ、僕はカイルと違ってデリケートなんだ……よっ……!」
「…………ボクはウィル・クロスフォード、13歳。『一応』、カイルの弟だよ」
 一応という言葉に力を入れて話しながら、ウィルは横目で取っ組み合う二人をじっと見つめる。今度はアルトが関節技を返したようだ。深々とため息をついて から、ウィルは言葉を続けた。
「あはははっ、油断したねっ。どう、ギブする?」
「イテテテテッ! バッカ、お前っ……やり過ぎっ、やり過ぎだって! 本気で折れるっ!!」
「ふう……えーっと、ボクはちょっと体が弱いから、あんまり働いたりは出来ないんだよね〜。カイルの狩りを手伝うときもあるけど、普段は学校に行って勉強 してるよ。趣味は美 食探求と格闘研究、そんなトコかな〜…………ゴホッ……ゲホッ……」
 ウィルはそこで言葉を切ると、急に胸に手を当て、2、3回軽く咳き込んだ。
 それを見たブレイズの顔色が変わり、椅子からさっと立ち上がる。戸棚から何やらビンを取り出すと、それをウィルに向かって差し出した。
「ウィル、念のため薬を飲んでおけ」
「えーっ、これ、苦いから苦手なんだよね〜……」
「文句を言うな、発作が起きるよりはマシだろう」
「はーい……」
 ウィルはブレイズがビンから取り出した錠剤を何粒か受け取ると、一気に口に放り込んだ。そのままコップの水で一気に体内へと流し込んでいく。
「うっへぇ〜、やっぱ苦いや…………はい、それじゃあ……次はルナ!」
 一見健康そうに見えるが、ウィルは何らかの病気を抱えているようだ。一体どんな病気なのか尋ねたいという気持ちもあったが、初対面の自分がそこまで聞く のは失礼だろう。
「うんっ」
 ウィルも薬を飲み終わり、ルナがゆっくりと立ち上がる。未だに取っ組み合っているカイルとアルトは放置して、自己紹介も再開されるらしい。
「わたしも名乗るのは二回目だね。わたしのフルネームはルナ・クルト・ホープフル、15歳です」
「……『クルト』?」
 確か、この村の名前もクルト村ではなかっただろうか。ライトの呟きが耳に止まったのか、横からブレイズが補足してくれた。
「ルナはこの地方を治める貴族・ホープフル家の一人娘でな。ゆくゆくは領主様ということだ」
「えへへへ、それから仕事……とは違うんだけど、教会の聖女候補 に選ばれて、明日から修行の旅に出るんだ。短い間になっちゃうけど、よろしくね。それで……わたしの趣味は…………えと、一人旅……かな…………あっ」
 『一人旅』と言った瞬間、ブレイズが目が細くなり、ルナをじっと睨みつける。
「え、えーと………… わ、わた しはこれで終わりです。では、続いて先生、どうぞ」
 慌てたようにして、ルナはブレイズにバトンタッチした。
 先ほどの別れのシーンはそういうわけだったらしい。貴族というのは大和にもいるにはいるが、ライトは直接関わったことはない。聖女というのはよく分らな いが、要するにルナは偉い人なのだろう。とりあえず、ライトはそう納得する ことにした。
 ルナの言葉を受けて、ブレイズがすっと立ち上がり、自己紹介を始める。
「俺の名はブレイズ。この村で医者と自警団長……それから教員をやっている。ついでに、無銭宿と道場みたいなこともしているがな……何か困ったことがあれ ば、なんでも聞 いてくれ。それで、最後はライト君。君に自己紹介をしてもらうわけだが……」
 ブレイズはそこで言葉を切り、未だにやりあっている二人の元へ近づいていった。
 そして、
 
「ぐわっ」
「あでっ」
 
 二人を拳骨で殴り付けた。
「痛てーな、師匠。殴ることないだろっ!」
「ちょっと兄さん!なんで僕まで殴るのさ!」
「黙って聞け」
 二人を一喝して、ブレイズは席に着く。
 殴られた二人はぶつぶつ言いながらも席に戻った。
 もういいぞ。
 ブレイズが目線で促してくる。勇気を出してライトは立ち上がった。
「……えっと、ぼくはライト、沢田来人って言います、年は14歳」
 ライトはそこで一旦言葉を切った。
 一体、何から話せばいいのだろう。仕事といっても中学生としか答えられないし、趣味の話をしてもしょうがない気がす る。
「ねぇ、どこから来たの?」
 思案に暮れるライトの心中を察したのか、ウィルが声を挟む。
 正直に話すべきなのか、ライトは一瞬迷った。
 この世界は明らかにライトの居た世界とは違うように思える。少なくとも、ここは北都市ではないし大和国内でもないだろう。
 ライトの中で結論は出ている。
 だが、可能性は低いが、もしかしたら、もの凄く遠くの、ライトが知らないような外国に飛ばされたという可能性もある。
 ライトはその望みに賭けた。
「……えーと、大和の北都市ってとこから来たんだけど……」
「大和……?」
 アルトが記憶を探すように呟いた。
「知ってるの!?」
「なんかの本で読んだような気がするんだよね……」
「本当!?」
 もしかしたら帰る手がかりが見つかるかもしれない。
 アルトは長い事記憶を探っているようだったが、やがて、観念したようにブレイズを見た。
「……鬼の里・大和。王都の北、クラスト山脈内にある小さな集落だ。アルト、お前が言いたいのはここの事だろうが……」
 ブレイズはライトの方を見つめる。
「君は鬼の子か?」
「……いいえ、違います」
 ライトは言葉を続ける。
 あまり落胆を表に出さないようにしようと努力はしたが、一度期待してしまった分、余計に気持ちは落ち込んでしまっていた。
「……ぼくは大和という国の、北都という町に住んでいるんです」
「……そのような名の国は聞いたことがないな……」
 やはり自分は違った世界に来てしまったらしい。半ば予想していたこととは言え、失望の波ががライトを襲う。  
「じゃあ、お前、師匠が知らねーような、すっげえ遠くの国から来たって事か?」
 カイルが声を上げた。
 そう一言で言ってしまえば簡単だが、実際それでは済まない。
 遠くの次元が違う。
 黙ったままのライトを見たブレイズは、ハッとして言った。

「……もしかして、君は落ちてきたのか?」


  戻る
2005年9月4日更新