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聖女 足音は、ベッドの横で止まった。 気まずい沈黙が続く。 耐えきれなくなったライトは、首から上をそっと毛布から出し、外の様子を窺ってみることにした。予想通り、ベッドの脇には少女が一人立っていて、ライト のことをじっと見つめている。 だが、少女の顔を見た瞬間に、ライトは何ともいえない感覚に襲われた。 ――この子、前にどこかで会ったような……。 それもここ最近、間近で顔を合わせたような気がする。少女を見つめたまま考え込むライトを見て、少女はニッコリと微笑みながら口を開いた。 「……山で倒れてたヒトって、キミのコトかな?」 「……えっ? や、山?」 「違うのかな? 若い男の子だって聞いてたんだけど……」 どこをどう見ても、この部屋に若い男の子はライトしかいなかった。この少女が実は男の子だというなら話は別だが、声や仕草、髪型や服装から見てそれはな いだろう。 「……えっと、たぶんぼくだと思う」 少女は再び、ライトに向かってニッコリと笑いかけた。とても可愛らしい少女だ。 黒いセミロングの髪が朝日を受けて輝いている。背はどうやらライトより少し高いようだ。 瞳の色は左右で違う。 右目は澄んだブルー、左目は引き込まれるような金色だ。 「よかった、私はルナ。先生からキミの治療をするように命じられました。それじゃ始めるね」 「治療って……な、なにを?」 問う暇もなかった。少女は手のひらをライトの頭の上に乗せる。 その瞬間、体を稲妻が貫いたような衝撃が走った。 つむじから背骨にかけてがとても熱く、火傷しそうだ。 ライトは必死にもがいて、少女の手から逃れようと する。振り回したライトの手を掴むと、少女はやさしくそっとその手のひらを握ってきた。 「大丈夫、大丈夫だから…」 そう、何度も何度も語りかけてくる。ライトは段々と全身の力が抜けていくのを感じていた。 熱さはだんだん心地よい暖かさとなって、ライトの体へと広がってゆく。それに 伴って、全身を覆っていた寒さや痛み、疲労感はゆっくりと消えていった。 「……大丈夫?」 そっと手を離して、少女がライトに尋ねてきた。 衝撃から立ち直れていないライトは、フラフラする頭を必死に回転させながら、ルナと名乗った少女の質問に答えた。 「……うん、大丈夫……でも……今のは、何?」 「ご、ごめんなさい! わ、わたし……その…………まだ力がうまく使えない時があって……痛かったかな?」 「……いや、そんなに痛くはなかったけど……その……『力』って何?」 ルナは驚いたように、目を見開いた。何か不味いことでも聞いただろうか。 「えっ? これは一応治癒魔法だけど……もしかして今まで治癒魔法を受けたことなかった? ごめん、それなら驚いたよね……」 「ううん、ホントに大丈夫だからッ!」 俯いてしまったルナを見て、ライトは慌てて言葉を発した。 魔法という聞きなれない単語に、ライトの脳はパニックを起こしそうになる。だが、さっきの『治療』は紛れもなく、魔法としか言いようがなかった。 この世の中に魔法というものがあるなんて、ライトは思っても見なかった。しかし、実際にだるさは取れ、体は元の調子を取り戻している。ルナの言葉を信じ る他ない。 ライトはルナを真っ直ぐ見つめると、ゆっくりと語りかけた。 「それに……まだお礼言ってなかったね。えっーと……どうもありがとう。おかげで大分楽になったよ」 ルナがパッと顔を上げる。 どこかホッとしたように微笑むルナに向かって、ライトはそっと笑いかけた。 「ぼくは来人、沢田来人って言うんだ。君はルナ……だよね? 本当に助かったよ」 「……そ、そう? ……えへへ、それならよかった。いいえ、どういたしまして……えと、ライト……くん」 ――可愛い子だなぁ……。 微笑むルナを見つめながら、ライトは心の中で呟いた。 でも、やはりそれだけじゃない。 やっぱり、どこかで会った気がする。 それもごく最近、間近で顔を会わせたよう な……。 そこまで考えて、ライトはハッとした。 ――そうだ、夢だ。 あの夢のなかに出てきた、あの……女の人だ……ぼくのことを抱き締めてた、あの……。 「どうしたの?」 ルナがこちらを覗き込んでいる。間近に迫ってきた顔に驚いて、ライトは思わず後ろに飛びのいた。 「ううん、な、何でもない!」 ルナは首を傾げている。 確かに、夢の女に人に似ている……が、よく見れば別人のようだ。 瞳の色も、髪の色も違うし、何よりルナはまだ女の子だ。夢の女の人は、どちらかというと女性という感じだ。 ――でもホントによく似てる……。 だが、ライトの物思いもそこまでだった。 突如、建物の中へと続く方のドアが開いてライトを現実に引き戻す。 入ってきたのは人ではなく、服の塊だった。ズボンやら上着やらがごちゃごちゃに絡み合ってい る。服の塊はよたよたとしなから、部屋の中をベッドに向けて歩いてきた。 「……あれ、ルナ? もう来てくれてたんだ。ごめん、気が付かなかったよ」 服の塊が喋った。 「おはよう、アルト。その服は?」 「これ? 患者用。なかなか合いそうなのがなくてね」 そう言って、アルトと呼ばれた服の塊はベッドに近づいてくる。 そうして……。 「うわっ!」 ベッドの横まで来ると、服の塊はライトに覆いかぶさるように倒れてきた。正しくは服の塊を持った人間が、それをベッドにぶちまけたのだろう。 ライトは服のなかに完全に埋もれ た。 「ふぅ、重たかったぁ。それよりよかった……君、気が付いたんだね」 「……うん、まぁ」 服の中からライトは返事をした。 「気分はどう?」 「……少し息苦しいかな」 「どこか痛い所とかはない?」 「うん……全身が押しつぶされてる感じだけどね」 「…………悪いんだけどさ、顔だけでいいから出してくれない?」 ――だったら最初から服をぶちまけるなよ……。 ライトは服を掻き分けて、やっとのことで顔を出した。 銀髪の少年がこちらを覗き込んでいる。 たぶ ん歳はライトと同じか少し下だろう。体に似合わない大き目の白衣を着て、ライトのことを覗き込んでいる。なかなか可愛らしく、利発そうな少年だった。 「ちょっとごめん」 アルトと呼ばれた銀髪の少年はライトの額に手を当てる。その手つきは手馴れていて、まるで医者のようだ。そういえば白衣を着ているが、この年で医者にな どなれるものなのだろうか。 「うん、熱も下がってるし、顔色も良くなってる……呼吸も安定してるみたいだね……ありがとう、ルナ。さすがだよ」 「そうかな」 ルナは照れたように笑みを浮かべた。 アルトはイスに座ると、机の引き出しから一枚の紙を引っ張り出す。そうして、その紙に何やら書き込みながら、ライトに対して諭すように話し始めた。どう やらカルテを書くらしい。 「君、山に登るのにあんな軽装じゃ、遭難して当たり前だよ。それに昨日は雨だったんだから、山小屋に一泊すればよかったのに……」 「山?」 さっきも同じ事を言われた気がする。どうやら扉に吸い込まれた後、どこかの山に飛ばされたらしい。 だが、その『どこか』というのが問題なのだ。 「……あの……ここって、どこ?」 「『クルト村』だよ」 アルトはカルテを書きながら、さも当たり前といった口調で質問に答えた。 「…………くると村?」 ライトには聞いたことがない村の名前だ。 少なくとも、北都市周辺の村の名前ではないことは確かだ。もしかすると、吸い込まれた後にかなり遠くまで飛ばされてしまったのかもしれない。 すると、ここは外国なのだろうか。 ルナやアルトの髪や瞳の色は、大和では珍しい部類だ。空に吸い込まれたのだから、外国に飛ばされてもおかしくはないだろう。むしろ、生きている事がラッ キーなのだ。 「そしてここは村の診療所。君は山で倒れていたところを発見され、そしてここに担ぎ込まれたってわけ」 ペンを置くと、アルトはこちらに向き直る。 じっと水色の瞳に見つめられ、ライトは落ち着かない気分になった。大和にも異国系の住民がいることはいるが、ライトはあまり付き合いが無い。 どうやら、本当に自分は外国へ飛ばされてしまったようだ。 …………だが、それならばなぜ言葉が通じているのだろう? 「訛りがないところを見ると『カイゼル』の人みたいだけど、どこの町から来たの?」 『カイゼル』とは何のことだろうとライトは思ったが、とりあえず町の名前を答えた。 「えっと、北都から来たんだけど……」 「ホクト? 聞かない名前だね……」 アルトは手を止めてじっと考え込んでいるようだったが、突如、慌てたように声を上げた。 「……って、そうだっ! 兄さん呼んでこないと……」 そのまま、弾かれたように立ち上がる。 |