第一章 はじまりの村


第一話


クルト村の朝

 また、朝がやってくる。
 
 いつも通りの朝、いつも通りの風景。
 だが、それも今日までだ。 
 明日になれば、その風景からいなくなってしまう人がいる。

 俺の大事な、とても大事な人。
 この村に来たときから、ずっと一緒の幼馴染。
 でも、明日でお別れだ。
 だから今日は、いつもよりたくさん喋って、たくさん笑って、そして笑顔で別れよう。
 俺はバカだから、こういう時どうしたらいいかわからないし。
 何より、俺の方が年上なんだしな。

 俺の、大切な幼馴染み。
 お前にしてやれること、俺にも何かないのかなぁ……。



 ハト時計の声が部屋の中に響いた。
 
 ハトは4回声を響かせると、役目を終えて時計の中に戻っていく。窓の外はまだ少し暗く、ぼんやりとした藍色が景色を覆っているようだ。
 薄暗い部屋の中、ベッドの中をもぞもぞと動く人影がある。やがて、その人影は這い出る様にベッドから降りると、大きなあくびをながら体を伸ばした。
 まだ年若い少年である。
 やや赤味を帯びた茶色の髪の毛をしていて、薄暗い部屋の中でもそれがよく目立つ。
 シャツの袖から見える腕の筋肉はしなやかに発達していて、大柄ではないがよ く鍛えられていることが見て取れた。日に焼けた肌が、少年の活力を示しているように感じる。
 顔立ちは整っていて、美形というよりもむしろ男らしい感じだ。
 その瞳は青く、きれいに澄んでいる。
 思いっきり伸びををした後、少年は部屋の中を見渡した。
 部屋といっても、少年の家にはこの一部屋しかない。家というより、小屋という方が正しいだろう。少年は部屋に一つしかないタンスをあけて着替えを始め る。上には動きやすいタンクトップのシャツ、下はくすんだ白のズボンを身に着ける。
 外は天気はよさ そうだ が、昨日降り続いた雨のせいで今朝は少し冷えるようだ。
 クルトの寒さを甘く見てはいけない。
 カイゼル王国北端の港町は、春になっても肌寒さを残している。少年は左右にポケットの沢山ついた皮製のチョッキを身につけ、その上から大き目の外套を羽 織った。
 続いて、ついさっきまで横になっていたベッドまで戻り、その脇に置いてあった剣を掴む。 
 一度呼吸を整えると、刀身を鞘から引き抜いてゆく。
 使い込まれているが、よく手入れされている剣だ。刀身に不備がないか確認 した後、少年は満足そうに頷き、再びゆっくりと剣を鞘に収めた。
 ようやく全ての準備を整えると、少年は二つあるベッドのもう一つのベッドに近づき、寝ている人物を覗き込む。すると、気配を感じたのか、ベッドに横に なっていた少年がゆっく りとその目を開いた。
「……悪い、起こしたか?」
「……ううん、大丈夫。おはよう、カイル。今日はいい天気みたいだね」
 こちらもまだ幼い少年である。カイルと呼ばれた少年よりも2,3歳は年下かもしれない。
 髪はカイルよりも赤く、ふっくらとした顔をしている。まだ幼くあ どけなさを残す顔立ちで、どちらかというと童顔である。
 その目は、引き込まれるような赤い色をしていた。
「少し寒いけどな」
 そう言ってカイルは、捲れてしまった布団をかけ直す。
「ほら、まだ4時だ。お前はただでさえ体弱いんだから、もう少し寝てろよ、ウィル」
 ウィルと呼ばれた少年は、カイルに向かってほほ笑んだ。
 そうして、囁くような声で言葉を発する。
「うん、わかった。ボク、もう少し寝てるね…………行ってらっしゃい」
 ウィルが目を閉じたのを見て、カイルはそっと扉を開けて、小屋の外へと出た。
 外は、もう朝日が昇りかけている。
 昨日の雨はすっかり止んだようだ。
 少し霧がかかっている村を、日光が突き刺すように射し込んでくる。暗くぼんやりとしていた クルト村の家々が、次第にはっきりと浮かび上がってきた。
 潮の香りがする朝の空気をたっぷりと吸い込んで、カイルはいつものように走り出した。



 カイルたちの家は、村の入り口の門のすぐ近くだ。
 村の真ん中を貫く、門から続く大通りを行くと、クルト村中央広場に出る。ここは十字路になっていて、真っ直ぐ海に向かって進むとクルト港へ。右に曲がる と、村役場や商店街、ギルドや学校等がある村の中心部の方へ。そして左に進むと、クルトの川と山、そして村の 診療所へ と続いている。
 朝早くから、クルト村の人々は活動を始める。
 通りに面した宿屋から出てきた見慣れぬ剣士風の男は、これからギルドに行き仕事を探すのだろう。港からは既 にいくつも漁船が出航し、港の市場へと向かう漁師の妻達が道端で談笑している。
 新聞配達をしているクラスメイトに軽く手を挙げて挨拶を交わしながら、カイルはいつもの様に中央広場を左に曲がった。水溜りを飛び越え、慣れた道を川に 向かって走っていく。すると、すぐに『クルト村診療所』と看板が掲げられている白い家が見えてきた。
 目指すクルトの川は、そのすぐ隣だ。
 じっと目を凝らし、カイルは診療所の煙突から煙が出ているのを確認した。どうやら、もう起きだして食事の準備をしているようだ。
 ――今日の朝メシはなんだろ?
 そんな思いを胸に、カイルはそのまま診療所の前を通り過ぎて、広々とした河原に下りていく。
 川は太陽の光を受け、キラキラと揺らめいている。クルトの川の水は澄んでいて、土手からでも魚が泳いでいるのが見て取れた。
 カイルは川に近づくと、水を手ですくって飲み、ついでに顔を洗った。
 冷たい水のおかげで、頭がはっきりと目覚めてくる。カイルの一日はこの川から始ま ると言っても過言ではない。そのまま靴を脱ぎ、慎重に川の中に入っていった。
 クルトの川は浅く、身長がそれほど大きくないカイルの膝下くらいまでしか水が流れていない。台風が来ても、カイルが記憶する限り川が氾濫したことはな かった。
 そのまま川の中程まで行くと、剣を構え、ゆっくりと目を閉じた。
 冷たい水が程よく足に心地よい。
 何も考えずに、心をゆっくりと空っぽにしていく。
 風の音、小鳥の囁き、水の声だけに心を傾ける。
 自然を全身に感じながら、自分もその中に溶けていく様に、ゆっくりと神経を研ぎ澄ませてゆく。
 
 刹那。
 カイルは剣を抜き放つと、足元の水を切り裂いた。
 
 一回、二回…………水しぶきと共に魚が河原に向かって飛んでいく。
 足元に魚がいなくなったのを確認して、刀身を外套で拭い鞘に収めると、カイルは急いで川から上がり魚の数を確認した。
 ――……一、二、三……うっ、やっぱり……。
 「……って、あぁぁぁ〜〜〜〜、また三匹かよ〜……」
 カイルは項垂れて、がっくりと膝をつく。この半年間、三匹から数が増えないのだ。
 『なんだなんだ、また三匹か……』
 これから言われるであろう言葉を想像して、カイルは軽くため息を吐いた。
 だがそもそも、剣を使って魚を獲るという事自体が無理な話なのだ。それなのに、カイルの師匠は平然とその無理な話を実行に移してしまう。
 一度だけ手本を見せてくれたが、その時のことをカイルは今でも思い出す。
 魚はまるで警戒せずに、師匠の足元へと泳いでくる。師匠は殆ど水しぶきを上げず剣を振るい、次々と魚を仕留めるのだ。
 ――絶対、あの人は人間じゃねぇ。
 カイルは常々そう思っていたが、決して口に出すことはしなかった。
 だが、そうやっていつまでも悔しがってっているわけにもいかない。手早く足を拭いて靴を履くと、カイルは魚を持って土手を駆け上がる。
 貴重な朝御飯、魚は鮮度が命だ。
 診療所の裏まで回りこむと、ドンドンと勢いよく裏口の扉を叩いた。
 「はい、はーい」
 家の中から声がして、ゆっくりと扉が開く。現れたのは銀髪の小柄な少年だ。
 カイルより薄い青い目をしていて、水色といったほうが正しいかもしれない。顔立ちは整ってい て利発そうであり、尖った耳の片方には眼と同じ色の宝石のイヤリングをつけている。
 銀色の長い髪が朝日に反射して光っていた。
「ああ、カイルか。 おはよう! ……で、今日はどうだった?」
 カイルは黙って三匹の魚を差し出す。
「あはははっ、やっぱり今日もまた三匹か〜」
 銀髪の少年は楽しそうに笑い声をあげた。
「うるさいっ! ていうかアルト、『やっぱり』 ってなんだよ!!」
「『やっぱり』 でしょ? カイルったら毎日毎日、ずーっと三匹なんだもん。いいかげん予想もつくよ」
 そう言って、アルトと呼ばれた少年は笑い続ける。
 腹を抱えながら笑いが止まらないのは、アルトの育ての親でありカイルの師匠である男とそっくりだ。血は繋がっていなくとも、家族とはこう も似るものなのだろうか。
 身に覚えがあるカイルは一人で納得しながら、笑い続けるアルトに向かって口を開いた。
「……お前、いつも思うが笑い方がいやらしいぞ…………あっ、ところで師匠は?」
「あっははははっ…………へっ、兄さん? まだ寝てるけど……昨日は遅くまで調べものしてたみたいだからね…………って、カイル、『いやらしい』ってどういう意味さ!!」
「そりゃ、そのまんまの意味だよ…………そっか、それなら山に行った後にまた来るから、師匠によろしく言っといてくれよ。じゃあな!」
 そう言うとカイルは一目散に駆け出した。
 目標は川を渡る橋だ。
 アルトが怒りを呼び戻す前に逃げ切らないと、大変なことになってしまう。
「えっ……う、うん、わかった…………ってカイル!? こら! 待て!! 逃げるなー!!!」
 アルトは素早く手を前にかざすと、早口で何かを呟く。

『……来……れ…………深……炎……の……召…………奉……』
 周りの空気が一瞬歪んだ。
 
 アルトはそのまま手に力を込める。すると、小さな火の玉がアルトの目の前に浮かび 上がった。
 意識を集中し、橋の上を全速力で走るカイルに狙いを定める。
 橋に当てないように注意して、アルトは火の玉を放った。
「……いけっ、ファイアボール!!」
 もの凄いスピードで、火の玉はカイルに向かっていく。
 直撃する直前、それに気づいたカイルは慌てて体を反転させ、何とかそれを回避した。
 火の玉は水面に落ちて、焼けたような音を立てて消え失せる。
「……ば、ばかやろっ! 殺す気かっ!! お前っ!!!」
 何も言わず、アルトは第二射の準備に入る。
 危険を察知したカイルは素早く橋を渡り終えると、さっさと山の中へと逃げ込んだ。



「あぶねーあぶねー……危うく燃やされるところだったぜ…………」
 カイルには苦い思い出があった。
 昔、アルトと二人、喧嘩をした時、カイルは怒ったアルトに雷を落とされたことがあるのだ。幸い命に別状はなかったものの、歩けるようになるまで2週間以 上かかっ たのである。
 カイルはその時初めて、どうして人々がエルフを敬い、尊び、そして恐れているのかを身をもって体験したのだった。
 誰だって自分にはない力を羨む。
 ましてそれが、マナを操る力、魔力ならばなおさらだ。
 考えは尽きなかったが、とりあえずカイルは山に来た一番の目的を果たすことにした。
 山には一面に、この村の名前の由来にもなった『クルトの木』が生えている。この木に生る『クル トの実』はとても美味しく、またここでしか生産出来ない為、村の特産物になっているのだ。
 昨日は雨が降っていたせいか、葉についた水滴が朝日に光って、きらきらと輝いている。カイルはそっと木の根元にしゃがみこむと、這い蹲ったまま周囲を動 き回った。
 クルトの木にはさらに、土壌を良質なものとする性質もある。そのため、その周辺には多くの植物が生育する。当然、病気の治療のための薬草もそうだ。
「ふうーっ、これくらいでいいよな……」
 ある程度の量の薬草を集めて、カイルは休憩することにした。
 もうすっかり日も昇ったようだ。昨日と違って雲も少なく、いい天気である。太陽が昇ったということは、もう朝食の時間だ。そろそろ帰らなくては間に合わ なくなってしまう。
 
 そう思って立ち上がろうとしたとき、カイルは小さなうめき声を聞いた。

 すぐに立ち上がり、剣を構える。
 斜面の下、五メートルほどの所で何かが動いている。獣か、悪魔か、或いは魔物かもしれない。
 カイルは慎重に間合いを計る。
 そして一気に飛び出し、相手に剣を突きつけた。
「………………あれ?」
 予想に反してそれは人だった。
 しかもまだ子供である。
 年はカイルより下なのだろう。髪の色は黒く、うっすらと開いた同じく黒い 目が、薄い涙の膜で覆われていた。顔をよく覗いてみると少年であることがわかる。
 驚く前に、カイルの頭に浮かんだのは疑問だった。
 こんな山の中に、どうして子供が倒れているのか。昨日の夜は雨だったし、夕方師匠と山に来たときにはこんな子供見かけなかった。
 何より格好が奇妙だ。
 山の中にいるには軽装すぎるのだ。
 下は黒いズボン、上はワイシャツ一枚で、上着も身に着けていない。まさかとは思うが、人買いからでも逃げてきたのだろうか。非合法である人身売買が王都 では行われていると聞いているが、まさかこんな辺境にまで人買いというのは出向いてくるものなのだろうか。だとしたらえらくご苦労様な話だ。
「おい、大丈夫か?」
 声をかけても、少年は荒く息をするだけで返事もしない。
 昨日の雨に当たったのだろうか。全身びしょぬれで、かなり衰弱しているようだ。意識がないならば早急に医者に見せる必要がある。
「しょうがねぇな……」
 カイルは呟くと、薬草をポケットにねじ込み、さっと少年を担ぎ上げた。
「うわっ、軽いな、こいつ」
 
 とりあえず、急いで診療所に運ばなくてはならない。
 カイルは急いで山を下り始めた。
 

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2005年7月2日 掲載