トルティーヤへ

 昼休み、来人と秋人の二人は校庭に出ていた。
 
 手には母が作ってくれた弁当を持っている。
 今日のおかずは卵焼きとウインナー、それにほうれん草とミニト マトだった。ちなみに、ウインナーは丁寧にタコ足になっている。
「いやぁ〜、やっぱり陽子先生の卵焼きは最高だな! ホントこれ、プロ並みだよ」
 秋人は母の卵焼きが大好物だ。
 出汁とチーズ、ベーコンをミックスした母の卵焼きは北の台ホームで一番の人気メニューであり、「酒のつまみにちょうどい い」と父は毎日の様にこれを食べている。
 息子の自分の目から見ても、確かに母は料理上手だと思う。まぁ、毎日10人近くの弁当を作っていれば、自然とうまくな るのかもしれないが……。
 二人は校庭の隅にある、大きな木の下に座っていた。正面には北都市の守り神たる北都山が見える。山肌の雪もすっかり消えて、山全体が青く茂ってきてい る。
 来人はこの山が好 きだった。
 この季節、春から夏にかけて、山は緑色に染まっていく。
 季節が変わり、夏から秋になると、きれいな紅葉が山一面に広がる。
 そして冬は、真っ白な雪のカーテンがかかったようになる。
「そういえば、また出たらしいぞ、神隠し」
 卵焼きを頬張りながら、思い出したように秋人が言った。サラサラとした黒い髪が風に揺れ、毛先が目に入りそうになるのを、秋人は顔をしかめて振り払って いる。
「えっ、また?」
「ああ、今度は高校生だってさ。しかも二人」
 ここ最近、北都市では行方不明者が相次いでいるのだ。
 最初は山に遊びに行った小学生の男の子達だった。その次は山のふ もとの中学の男子生徒。部活中にちょっと休憩してくると言ったまま、行方不明になったらしい。
 そして今回の高校生だ。
「なんか……怖いね」
 来人はぽそりと呟いた。
「ああ、しばらく山には近づかないほうがいいかな」
「うん……」
 ――見るのはいいけど、行くのはちょっとな……。
 来人は心の中で呟いた。
 北都山には、小さな洞窟がある。
 なんでも中に祠があり、太古の神様が祭ってあるらしい。来人は一度だけ、そこに行った事があった。入り口に近づいただけだが、そのとき来人は 気分が悪くなってしまい、結局父におぶってもらって帰ったのだ。あまりいい思い出のある場所とはいえない。
 来人は青い空を見上げて、昔のことを思い出していた。


 
 ――このままじゃ、いけない。
 少年は苦しそうに顔を歪ませた。
 光の届かぬ洞窟の奥。フードを被った少年が一人立っている。
 事態は思ったより深刻だった。
 少年の力では、対抗することは出来ても、もう止める事は出来ない。遥か昔、少年が力を分け与えた者は、その力に飲まれて心を失ってしまった。
 ――僕のせいだ……。
 少年は言葉を零す。
 どうして彼が心を失っていくのに気がつかなかったのだろう。
 今、世界を壊そうとしているのは紛れもない、彼だった。
 彼に対抗できる唯一の者は、未だ眠りについている。だが、その者も果たして正気を保っているかはわからない。
 長きに渡った戦い。
 それが、彼とその仲間たちをバラバラにしてしまった。
 もう、最後の希望に賭ける他なかった。
 戦いの最後に、彼らの師匠だった男が連れて来た幼い子供達。時空の流れは読みづらい、だが、呼びかけることは可能だった。
 少年は心を静めると、洞窟の奥の祭壇に向かってゆっくりと向き直った。



 ふと、来人は体の異変に気づいた。
 胸の辺りが熱い。それも、猛烈に。
「……っ」
「ん、どうした?」
 異変に気付いた秋人が、来人の事を覗き込んでくる。
 来人は黙って、首から下げたペンダントと指輪を取り出した。
「……う、うわぁ……!!」
 来人は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。だが、どんなに大きな声を上げたところで、現実に起きている事態が打開されるわけでもない。 

 来人のペンダントと指輪が白く、白く、輝くように光を帯びていた。
 
 昼間だというのに、その周りだけ異様に明るく、眩しいくらいだ。
「な、なんだよ、これ……どうなってんだよ?」
「そんな、わかんない……」
 ペンダントはどんどんと輝きを増している。
 最初は熱く、眩しい程度だったのが、今では光に包まれしまいそうだ。
 だが、異変はそれだけではなかった。
「おい! 見てみろよ、あれ……」
 今度は来人の周りにいた子供達が何事か騒ぎ出す。彼らはみな、北都山のほうを指差していた。
 視線をやると、北都山の中腹のあたりから白い白い光の筋が、何本も飛び出していた。空に向かって伸びるそれは、次第に重なり合い、絡み合い、束となって いく。さらに、無数の束と束が重なり合い、一つの 形を作って いく。
 空の上にある、大きな大きな光の塊。
 来人には、それがどんな形になるのかがわかっていた。
 ――あの、夢と同じ……あれは…………。
「扉だ……」
 横で秋人がポカンと口を開けている。
 それはあの夢の扉だった。
 白く輝く扉。
 夢とまったく同じ姿だ。そして、扉が少しずつ開かれていく。
 刹那。
 突如、重力がなくなったような気がした。いや、むしろ、反転したと言ったほうが正しいかもしれない。
 得体の知れない浮遊感。
 慣れない感覚に体が強張り、脳の思考が麻痺していく。
「え、おっ、う……うわっ……!!」
 秋人が悲鳴を上げるが体は地面に戻らず、二人の足がゆっくりと地面を離れていく。
「うそ、吸い込まれてる……」
 不思議と、来人は怖いとは感じなかった。
 むしろ、どこか懐かしく、安らぐ感じがする。
 ぼんやりとした白い光が、自分の周囲に満ちていくのを感じた。それに合わせて、次第に来人の意識が失われていく……。
 
 ――そうだ、これは…………。
 
「イヤ―――っ! 助けてェ――――!!」
 突然の悲鳴で意識が戻った。
 慌てて辺りを見回すと、多くの生徒が空に浮かんでいる。悲鳴をあげたのは、その中の眼鏡をかけた少女みたいだ。知らない女子だったが、その悲鳴のおかげ で正気が戻った。
 急いで辺りを見渡して、周囲の状況を確認する。
 校舎の窓から先生や生徒が顔を出し、こちらを指差してなにやら叫んでいる。さらに視線をずらすと、校庭に何人もの生徒や先生が飛び出してきて、宙に浮か んだ生徒達を見つめながら何事か叫んでいた。
 校庭の木にしがみ付く少年と、その少年に懸命に助けを求める少女。お互いの名を呼び合っている少年と少女は、隣のクラスで付き合い始めたばかりのカップ ルのはずだ。
 彼らのことはあまり良く知らなかったが、宙に浮かんでいる生徒達の中には、見知った顔も見受けられた。
 叫びながら、必死に地面に泳いでいこうとする少年と、気絶したのか、ぐったりとしたまま動かず、宙に漂っている少年。
 叫び声を上げている少年はクラスメイトの男子で村中といい、彼はうちのクラスの女子に人気があるのだが、少し……というか、かなり背が低い。その為、身 体検査 の時、来人と村中の二人は共に身長の低さを打倒しようと誓い合った仲間だ。
 気絶している少年は来人と同じ剣道部員で須藤といい、互いに数少ない剣道部員として懸命に……ときどき脱線したりもするが、部活に取り組んできた仲間な のだ。
 それなのに、どうしてこんなことになったのだろう。
 
 ――……そうだ、アキト……アキトはどうしたんだろう。
 
 ぼんやりとしている場合ではない。
 来人が空中で体を反転させると、す ぐ横を浮かんでいる秋人の姿が目に入った。すでに半分意識を失っているようだ。
「アキトッ、しっかりして!」
 秋人になら手が届くかもしれない。
 必死に手を伸ばして、来人は秋人の肩を揺さぶった。
「……ライ……ト……?」
 視線は来人を捉えるが、焦点が定まっていない。
 来人はさらに周りを見渡す。すると、先ほどまで二人が腰掛けていた木が、三メートル程離れた場所に立っている。
 迷っている時間 はない。
 来人は秋人の腕をしっかりと掴み、「いくよ、アキト……」と、秋人に宣言した。
 秋人の腕をグッと掴むと、そのまま思いっきり反動をつけ、木に向かって投げつける。
「……ライ…………ト……にゃにして…………って、うわ――――っ!!」
 間抜けな声を上げて、秋人は真っ直ぐに木へとぶつかった。
「掴まって! アキトッ!!」
 間伐入れず、来人は思いっきり声を張り上げる。
 その声に反応したのか、秋人は慌てて木にしがみついた。
 何とか間に合ったようだ。
 来人はホッとため息をついた。
 秋人の無事を確認して再び上空の扉へとに目を向けると、もう扉は来人のすぐそばまで迫ってきていた。
 周囲に白い光があふれていく。
 自分が光に溶け込むように、来人はゆっくりと目を閉じる。
「あっ……うそだろ! ライト…………ライト――っ!」
 
 秋人の叫び声が遠くに……聞こえた。



 
 強い光に包まれたぼくは、目を瞑ったまま流されていった。
 
 …………ごめん。
 
 誰かの声が聞こえる。

 ――なんで、あやまってんの? 君は……誰?
 
 その問いに答える声はなく、そのままぼくは意識を失っていった。


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2005年6月27日 掲載