第六話


再び、現世


「それで……来人は?」
「……現在の所、調査中としか申し上げられません」
 男の言葉に、陽子は頭を抱えた。陽子の隣には、夫の隆之が拳を握り締めている。
 室内は水を打ったように静まり返り、時計の針の音だけが響き渡っていた。

「……目撃者の証言から、巨大な竜巻が発生したと考えられています。吸い込まれた子供たちの行方は、軍、海上保安庁、消防、それから我々警察が全力を挙 げていますが……未だに発見に至っておりません」
 陽子も隆之も、言葉を発する事は出来なかった。

「……竜巻なんかじゃない」

 不意に声が聞こえた。視線の先には顔を怒らせた秋人が仁王立ちしている。
「あいつは扉に吸い込まれたんだ! 北都山から光が出て、それが扉になって……ライトは空に吸い込まれたんだよっ!」
  秋人の言葉を聞いた陽子がハッと息を呑んだ。
「……秋人、部屋に戻りなさい」
「でもっ……」
「いいから、戻りなさい」
 隆之の言葉に、秋人は渋々といった様子で部屋を出ていく。

「……来人の一番の親友なんです。目の前であんなことが起こって、気が動転しているようで……申し訳ありません」
「いえ、それはいいのですが…………実は目撃者も、竜巻ではないと言うんです。光が差し込んで……子供たちを連れ去ったと……」
 陽子と隆之は互いに顔を見合わせた。



「……やっぱり、あの光なのかしら?」
「多分、そうなんだろうな……」
 薄暗い事務室で、二人は会話を交わしていた。

 秋人は話を聞くため、音を立てないよう慎重に歩く。事務室の前まで来た秋人は、そっとドアに耳を押し当てた。
「来人は……還っていった。そういうこと?」
「ああ、きっと……そういうことだろう」
人は声を落として話しているため、ドア越しでは聞き取りにくい。
 だが、話の内容はなんとか識別できそうだった。

「あの子は……俺たちが預かっていただけに過ぎないんだろう。そして……」
「そんなの勝手じゃない! あの子は……私たちの子よ。なんで今更……」
「……」
 秋人はゆっくりとドアを離れた。
 二人が言っている言葉の意味はわからない。
 だが、来人はもう帰ってこないかもしれない、それだけは明らかだった。

 自分の一番の親友。
 自分の事を救ってくれた大事な相棒。
 来人はもう戻ってこない……。

 秋人は顔を上げると、玄関に向かって駈け出した。



 胸が痛い。
 全力で走り続けているため、足がガクガクと悲鳴を上げている。
 山道がこんなにも苦しいものだと初めて知った。

 擦り剥いた膝はもう痛みを感じない。
 ただ息が苦しくて、心臓が張り裂けそうだ。震える膝を叩きながら、秋人は山道を駆け上がった。
 もう何分走り続けたのだろうか。時間の感覚が麻痺しているようだ。

 もう走れない……。
 秋人が思わず膝をつこうとした次の瞬間、突如、秋人の視界が開けた。
 山道の突き当たりの洞窟。
 この中のほこらには、北都市の護り神たる北都山の御神体が眠っているという。
 
 秋人はペンライトを点けると、洞窟の中に入っていった。



 薄暗い洞窟内部では、月の明かりさえ届かない。ペンライトの明かりだけが頼りだった。
 足元には木の板が置かれている。恐らく人が歩くために置かれているのだろう。しかし今となっては、腐っていて歩きにくい事この上ない。転ばないよう慎重 に秋人は足を進めた。
 
 やがて、周囲から完全に光が消えてしまった。
 秋人の持つペンライトだけが、ぼんやりと前方を照らしている。
 果てしなく続く暗闇が、秋人を飲み込んで行く……。
 そんな想像に駆られた秋人は、頭を振ってそ れを打ち消した。

 自分は来人を捜しに来たんだ。
 来人はきっとここにいる。
 来人は自分が連れて帰る。

 魔法の呪文のように、何度も何度も繰り返す。そんな秋人を勇気づけるように、次の瞬間、一瞬だけ前方で光が輝いた。
 あれは……。
 ぼんやりとした小さな光り、今は見えないが確かに光っていた。
 このままではペンライトの光が邪魔で光の在処を確かめられない。暗闇に包まれる恐怖は消え なかったが、秋人は思い切ってペンライトのスイッチを切った。
 
 一瞬にして辺りは暗闇に包まれる。言い知れぬ恐怖が体を走り抜けた。
 だが……。
「あっ!」
 前方に白い光が見える。まだ距離はあるようだが、足元がはっきりしてきた。
 あそこだ……。
 秋人はゆっくりと光に近づいていった。

 近づくにつれ、前方が大きな空洞になっていることがわかる。光はその奥から放たれているらしい。
 間近に迫ってみると、光の源はほこらであることがわかっ た。
 
 古いほこらだ。
 
 もう何年も人が訪れていないのだろう。
 だが、木造の建物は健在で、何か不思議な力に護られているようにさえ見えた。

 秋人はほこらに近づくと、そっとほこらの扉に手を掛ける。そうして、力一杯手前に引いた。
 鈍い音が響き、ゆっくりと扉が開いて行く。
 それに合わせて、洞窟の中を白い光が満たしていった。
 ほこらの中は光が白く輝き、内部を見通すことが出来ない。だが、この光と昼間の光は同質のようだ。
 
 この中に、来人が……。
 秋人がほこらの中に足を踏み入れようとした。だが、次の瞬間、小さな物音が辺りに響いた。

 今のは……。
 どうやら、音はほこらの側面から聞こえたらしい。秋人は息を潜め、音がした方に向かっていった。
 何かの動物でもいるのだろうか
 ほこらの角から覗き込むようにして様子を窺う。
 しかし、予想に反してその目に飛び込んできたのは、一人の子供の姿だった。
 フードを被り、その顔を見ることは出来ない。ほこらに寄り掛かって座っていることから、どうやら眠っているようだ。服装と体つきから少女ではなく少年で あることが伺える。

 この子も吸い込まれたのだろうか……。
 少年を起こそうと秋人が手を伸ばした次の瞬間、少年の姿は消え去った。
「き、消えた……?」
「違うよ」
 真後ろから声が聞こえた。
 
 慌てて振り向くと、フードの少年が後ろに立ち、こちらをじっと見つめている。
 何時の間に移動したのだろう。まばたきをする間もなかったはずだ。
 まさか……こいつは……幽霊?
「な、何なんだよ……お前……?」
「……僕は人…………だった事もあるけど、そう言うとおこがましいかな。今はもう人じゃない何か……だね」
 秋人は何時でも逃げ出せるようにペンライトを手に握った。
 素早く後ろを振り返り、周囲の状況を確認する。

「それで、キミは僕に何の用?」
 少年は淡々と言葉を繋げた。
「えっ?」
「僕に逢うために来たんじゃないの?」
 フードの少年の言葉に、秋人は目的を思い出した。
「……あ、そ、そうだ。あ、あの光の扉について、お前は何か知ってるか?」
「時の扉のこと?」

 知ってた!

 秋人は思わず掴み掛かろうとする。
 しかし次の瞬間、フードの少年に後ろへ回り込まれていた。
 秋人は振り向くと、力の限り声を上げる。
 「お前がやったんだろ! ライトを返せよっ!」
 秋人の叫びが洞窟内にこだました。
 フードの少年は答えず、ただ秋人をじっと見つめている。
 長い長い沈黙の後、少年はぽつりと呟いた。
 
「……それは、出来ない」
「なんでだよ! ふざけんなよっ!!」
「物語は動き始めた。あの子は……その鍵になる」
「……は? ……鍵?」
 少年の声色は変わらない。ただ淡々と、事実のみを告げているようだ。
「あの子なら身なら大丈夫。信頼できる人に託してある。あの人なら、安心できる」
「あの人とか信頼とかいきなり言われたって…………っ!?」
 不意に、頭上に気配を感じた。
 見ると、数羽の蝙が二人に向かって舞い降りてきている。
 危ない!噛み付かれるっ!
 秋人は思わず目をつぶった。
 
 今にも蝙が腕に食い付いてくる……。
 そんな秋人の思いを他所に、いつまで経っても衝撃はやってこなかった。
 
 あれ、なんで……。
 秋人は恐る恐る目を開く。
 飛び込んできたのは、頭の上、空中に浮かんでいる蝙だった。翼を広げ、口を大きく開けている。

 ……うん?
 『翼を広げ』?
 なんで浮いてんだ? こいつ……。

 秋人は思い切って蝙に触れてみた。だが、全く反応がない。完全に空中で静止しているようだ。
 あの少年がやったのだろうか……。
 秋人は少年の方に目をやったが、そこに少年の姿はなかった。

「……あれ?」
 見ると、少年はほこらに向かって歩き始めている。その姿は光に埋もれ、やがて見えなくなった。
「あっ、おい! 待てよっ」
 秋人が駆け出すと同時に、ほこらの扉が閉まり始めた。
「やばっ……」
 秋人は急いで階段を駆け上がる、そうして扉の間に体を滑り込ませた。
 一瞬にして真っ白な光が全身を覆い、次第に意識が薄れていく。

《……いいんだね? 鍵は二つ揃った。キミも……もう戻れない》
 ぼんやりとした声の響きを子守歌代わりにしながら、秋人はゆっくりと意識を手放していった。 
  

   

  戻る
2006年7月25日更新