2 それぞれの前夜 「どうしてさっ!」 「理由は何度も説明してるだろう」 緊迫した空気が室内に流れている。高い声の主は激昂し、相手を責めている様にさえ聞こえる。 「……アルト、もう一度だけ言おう。俺はルナの護衛で村を離れる。その間、お前の事はバキンズ殿に頼んでおいた。お前はそれに従って……」 「嫌だっ!」 ブレイズは深々とため息を吐いた。そうして、アルトの事をじっと睨み付ける。 「……なら、どうするつもりだ? お前一人で暮らすなんて不可能だろうが」 「僕も連れていけばいいじゃないのさっ!」 「だから、それはダメだと言っとるだろうが……」 さっきから堂々巡りで議論が進まない。 アルトがここまで怒るとは、ブレイズにとって予想外だった。 「何も答えないで……しかもカイルの事は連れてくんでしょ!? 何で僕はダメなのさっ」 「あのな、遠足じゃないんだ。自分の身を守るだけで精一杯の奴に、他の人間の護衛なんて勤まるはずないだろが」 「僕だって……」 「お前には無理だ」 断言されて、アルトは下を向いてしまった。 拳は固く握られ、悔しさを握り締めているように見える。 「……アルト」 「……足手まといじゃないんでしょ?」 声が擦れていた。 ブレイズはじっと目を瞑ったまま答えない。 「……僕は精霊の声を聞けるくらい成長した……兄さんだってさっき気付いたでしょ? 足手まといじゃなければ……ついてってもいいじゃない……なんで……なんで置いて行くのさ……」 「……戦力にならないのならば、連れていくことは出来ない」 アルトはキッと顔を上げた。目には大量の涙が溢れている。手に持っていた本を構えると、それをブレイズに投げ付けた。 「兄さんなんか……兄さんなんか大嫌いだっ!」 大声で叫んだアルトは、そのまま部屋を飛び出していった。 室内にはブレイズ一人が立ち尽くしている。 《……あーあ、連れていってやっても良かったんじゃないの?》 嗜めるような声が聞こえた。 ぼんやりと響くその声は、どこから発せられているのか判断することは出来ない。 「……ただの護衛ならば、連れて行くさ」 《どういう意味だ?》 別の声が響いた。先程の声の主よりも、些か堅苦しい物言いだ。 その言葉に、ブレイズは先程のバキンズとの会話を思い起こしていた。 ・
「……国は死にかけております」 バキンズはブレイズをじっと見つめた。 「欲深き者が王都を支配し、王家も教団も騎士団も……もはや飾りと化しております。治安は乱れ、街と街の結束もなく、それぞれで自衛しなければ領民を守 ることさえままなりません。……ブレイズ殿、どうか再び……剣を取ってくださらないか?」 バキンズの訴えは切実だった。 「……バキンズ殿、私が出来るのは、『種』を蒔く事だけです。この六年間で、『種』はようやく『芽』を出し始めました。後は自分で成長せねば、国を支え る『大樹』にはなれません」 ブレイズはバキンズを見つめ返す。 バキンズはその視線を受けとめ、視線を逸らさず言葉を返した。 「……確かに、貴方の言う通りでしょう。……ですが、『芽』を喰らい尽くそうとする『獣』が徘徊し、根こそぎ『芽』を吹き飛ばそうとする『嵐』が吹き荒 れている中では、立派な『幌』が必要になります。どんな困難からも『芽』を守護する事が出来る、そんな『幌』が……」 「……バキンズ殿、私に『幌』になれと?」 「再び太陽を拝めるまで、『芽』を守れるのは貴方だけです。『芽』も、それを望んでいると思われます」 老練なクルト領主ははっきりと断言した。 ・
ブレイズは思考を戻すと、ゆっくりと口を開いた。 「……ハイエルだけじゃなく、バーヌースの国々がきな臭い。カイゼル国内も、もはや内乱状態だ。……アルトを危ない目には逢わせたくない」 《お前らしくないな、臆したか?》 「無茶を言うな、ご老体。自分の衰えを実感しただけだ。……あの子達が一人前になるまでは、壮健でいたいものだな」 その言葉に、声の主は黙り込んでしまった。 ブレイズは窓の外に目をやり、クルトの山を眺める。 「……そろそろか」 黄金色に輝く三日月が、夜空に輝きを放っていた。 ・
「そっか、カイルも行くんだ……」 「ああ……師匠が『一緒に来い』って言ってくれたんだ。……ルナを守ってくる」 「そう……」 蝋燭の火が踊っている。極力明かりを落とした病室内で、二つの人影が語り合っていた。カイルの言葉に、ウィルは微かに笑みを零す。 明かりが少ないためにはっきりと顔を見ることは出来なかったが、その表情には精気が感じられなかった。 「ごめんね、ボクは力になれなくて……」 「なーに言ってんだよ!」 ウィルはカイルの手をそっと握った。 「……俺の方こそ、お前を置いてく事になる。……ごめん」 「ボクは大丈夫。ホントは今すぐライトに謝りたいんだけど…………こんな気持ち悪い顔は見せられないもんね。……カイル……ルナとライトの事、頼むよ」 ウィルの目には強い意志が感じられた。カイルは弟の気持ちを痛い程わかっている。 「お前、ルナに言わなくていいのか……?」 ウィルは一瞬息を呑んだ。顔が固まり、手に力が込められる。 「……ルナにとってボクは、可愛い弟と一緒なんだよ。今までも、これからもね」 ウィルはきっぱりと断言した。 「ウィル……」 「はいっ、この話はおしまいっ! ……しばらく会えないんだから、今日はしっかり看病してよね、兄ちゃん」 まるで自らの決意を示すかのように、ウィルはカイルに向かってにっこりと微笑んだ。 ・
人の気配を室内に感じ、ライトは目を覚ました。 「ごめんっ、起こした……?」 ライトを覗き込む様にして、一人の少女がベッド脇に立っている。 「ルナ……儀式は?」 「抜け出してきた…………傷、大丈夫?」 ルナの手がライトの肩口を触る。僅かに痛みを感じたライトは、思わず顔をしかめた。 「っ……」 「あっ、ごめん……」 ルナは慌てて手を引っ込めた。うなだれる様に下を見つめ、口をキュッと結んでいる。 ライトは必死に手を動かすと、ルナの指先を握った。 「……とりあえず、無事で良かったよ……ルナも……ウィルもね」 ルナの指先に力が入る。ライトはそれに応え、指先を握り返した。 「……ぼく、今日みたいにドジしちゃうかもしれないけどさ……出来るだけ……ルナの足を引っ張らないようにするから……」 「違うよ、助かったのは私だよ……」 ルナの目には涙が光っている。 「助けてくれて……ありがとう。そして、ごめんね……」 「……こちらこそ、ありがとうだよ」 握り締めた指先が痛い。 それでも、ルナが指を放すことはなかった。 ・
街の光が眼下に広がる。 広場の炎は闇を照らすように燃え続け、新たな聖女の誕生を精霊達に伝えている。 「……シェン」 ブレイズの言葉に闇から一つの影が現われた。まだ幼さを残す風貌に似合わず、顔には厳しい表情を浮かべている。 「……なんだ、その顔は。せっかく話を聞いてやろうというのに……」 「……だからですよ。ここで貴方を説得しなければ、また戦が起こりますから……」 少年――シェンは肩を竦めてみせた。わざわざ危険を冒してまでやってきたのだ、決意は本物なのだろう。 「なら話は早い、今の俺の力はわかっただろう? この状態の俺に、一体何をしろと……」 「貴方にしか出来ないんです」 シェンは頑として譲らない。 ブレイズをじっと睨み付けた顔には、やはり強い決意が見受けられた。 「……まぁいい。だが、俺は……いや、我々は、あの事を今だに忘れたわけじゃない……もしお前がここに長く留まれば、他の者がお前の元へとやってくるだ ろう。……賢者モレクよ、許すことは出来ないだろうからな」 「……それは、我らも同じです。……守護者ブレイズ」 シェンの眼差しが、一瞬だけ険を帯びた。 ブレイズは苦笑すると、シェンに向かってゆっくりと近づいていく。互いに触れ合うことが出来る距離まで近づくと、ブレイズはシェンの頭に右手を乗せた。 そうして、頭をくしゃくしゃと掻き回す。 「……すまんな。今の俺には、力を制御する事もできん。あの様に呑まれ、暴走してしまうことすらあるのだ。……お前は大丈夫か?」 「……一度だけ、呑まれかけました。それ以来、グティは心配して、力を押さえてくれます」 《…………私のせいで彼を傷つけたくはありませんから》 シェンの言葉に反応するように、優しく声が響いた。 その言葉に、ブレイズは苦笑しながらゆっくりと頷く。 《うむ、誰かにもそれ位の配慮が欲しいものだ》 《うるさいよ、お爺さん。それが出来たら苦労しない》 《貴様っ、あれ程年寄りと呼ぶなと言ったはずだ! ……第一、外見年齢はお前と大して違わないように変えている。人の努力を……》 頭の中で声が聞こえる。 二人の言い争いに、ブレイズとシェンは思わず吹き出した。 微かに笑みを浮かべながら、ブレイズはシェンに向き直る。 「……さて、シェン。お前の考えを聞こうか……」 ブレイズの視線を受けとめ、シェンはゆっくりと口を開いた。 ・
ブレイズさんが帰ってきたのは、夜も大分遅くなってからだと思う。
半分眠りに落ちかけていたぼくの手をルナはそっと離すと、ブレイズさんと何事か話し合っていた。 何を話していたかは分からなかったけど、病室に戻ってきたブレイズさんは何だか怖くて…………そしてどこか悲しそうな、疲れた顔をしていた。 ぼんやりとした頭で考えることが出来たのはそこまでで、ぼくはゆっくりとそのまま眠りに落ちていった。 |