それぞれの前夜


「どうしてさっ!」
「理由は何度も説明してるだろう」
 緊迫した空気が室内に流れている。高い声の主は激昂し、相手を責めている様にさえ聞こえる。

「……アルト、もう一度だけ言おう。俺はルナの護衛で村を離れる。その間、お前の事はバキンズ殿に頼んでおいた。お前はそれに従って……」
「嫌だっ!」
 ブレイズは深々とため息を吐いた。そうして、アルトの事をじっと睨み付ける。
「……なら、どうするつもりだ? お前一人で暮らすなんて不可能だろうが」
「僕も連れていけばいいじゃないのさっ!」
「だから、それはダメだと言っとるだろうが……」
 さっきから堂々巡りで議論が進まない。
 アルトがここまで怒るとは、ブレイズにとって予想外だった。

「何も答えないで……しかもカイルの事は連れてくんでしょ!? 何で僕はダメなのさっ」
「あのな、遠足じゃないんだ。自分の身を守るだけで精一杯の奴に、他の人間の護衛なんて勤まるはずないだろが」
「僕だって……」
「お前には無理だ」
 断言されて、アルトは下を向いてしまった。
 拳は固く握られ、悔しさを握り締めているように見える。

「……アルト」
「……足手まといじゃないんでしょ?」
 声が擦れていた。
 ブレイズはじっと目を瞑ったまま答えない。
「……僕は精霊の声を聞けるくらい成長した……兄さんだってさっき気付いたでしょ? 足手まといじゃなければ……ついてってもいいじゃない……なんで……なんで置いて行くのさ……」
「……戦力にならないのならば、連れていくことは出来ない」
 アルトはキッと顔を上げた。目には大量の涙が溢れている。手に持っていた本を構えると、それをブレイズに投げ付けた。

「兄さんなんか……兄さんなんか大嫌いだっ!」

 大声で叫んだアルトは、そのまま部屋を飛び出していった。
 室内にはブレイズ一人が立ち尽くしている。

《……あーあ、連れていってやっても良かったんじゃないの?》
 嗜めるような声が聞こえた。
 ぼんやりと響くその声は、どこから発せられているのか判断することは出来ない。
「……ただの護衛ならば、連れて行くさ」
《どういう意味だ?》
 別の声が響いた。先程の声の主よりも、些か堅苦しい物言いだ。
 その言葉に、ブレイズは先程のバキンズとの会話を思い起こしていた。



「……国は死にかけております」
 バキンズはブレイズをじっと見つめた。

「欲深き者が王都を支配し、王家も教団も騎士団も……もはや飾りと化しております。治安は乱れ、街と街の結束もなく、それぞれで自衛しなければ領民を守 ることさえままなりません。……ブレイズ殿、どうか再び……剣を取ってくださらないか?」
 バキンズの訴えは切実だった。

「……バキンズ殿、私が出来るのは、『種』を蒔く事だけです。この六年間で、『種』はようやく『芽』を出し始めました。後は自分で成長せねば、国を支え る『大樹』にはなれません」
 ブレイズはバキンズを見つめ返す。
 バキンズはその視線を受けとめ、視線を逸らさず言葉を返した。

「……確かに、貴方の言う通りでしょう。……ですが、『芽』を喰らい尽くそうとする『獣』が徘徊し、根こそぎ『芽』を吹き飛ばそうとする『嵐』が吹き荒 れている中では、立派な『幌』が必要になります。どんな困難からも『芽』を守護する事が出来る、そんな『幌』が……」
「……バキンズ殿、私に『幌』になれと?」
「再び太陽を拝めるまで、『芽』を守れるのは貴方だけです。『芽』も、それを望んでいると思われます」
 老練なクルト領主ははっきりと断言した。



 ブレイズは思考を戻すと、ゆっくりと口を開いた。
「……ハイエルだけじゃなく、バーヌースの国々がきな臭い。カイゼル国内も、もはや内乱状態だ。……アルトを危ない目には逢わせたくない」
《お前らしくないな、臆したか?》
「無茶を言うな、ご老体。自分の衰えを実感しただけだ。……あの子達が一人前になるまでは、壮健でいたいものだな」
 その言葉に、声の主は黙り込んでしまった。
 ブレイズは窓の外に目をやり、クルトの山を眺める。

「……そろそろか」
 黄金色に輝く三日月が、夜空に輝きを放っていた。



「そっか、カイルも行くんだ……」
「ああ……師匠が『一緒に来い』って言ってくれたんだ。……ルナを守ってくる」
「そう……」
 蝋燭の火が踊っている。極力明かりを落とした病室内で、二つの人影が語り合っていた。カイルの言葉に、ウィルは微かに笑みを零す。
 明かりが少ないためにはっきりと顔を見ることは出来なかったが、その表情には精気が感じられなかった。
「ごめんね、ボクは力になれなくて……」
「なーに言ってんだよ!」
 ウィルはカイルの手をそっと握った。
「……俺の方こそ、お前を置いてく事になる。……ごめん」
「ボクは大丈夫。ホントは今すぐライトに謝りたいんだけど…………こんな気持ち悪い顔は見せられないもんね。……カイル……ルナとライトの事、頼むよ」
 ウィルの目には強い意志が感じられた。カイルは弟の気持ちを痛い程わかっている。
 
「お前、ルナに言わなくていいのか……?」
 ウィルは一瞬息を呑んだ。顔が固まり、手に力が込められる。
「……ルナにとってボクは、可愛い弟と一緒なんだよ。今までも、これからもね」
 ウィルはきっぱりと断言した。
「ウィル……」
「はいっ、この話はおしまいっ! ……しばらく会えないんだから、今日はしっかり看病してよね、兄ちゃん」
 まるで自らの決意を示すかのように、ウィルはカイルに向かってにっこりと微笑んだ。



 人の気配を室内に感じ、ライトは目を覚ました。
「ごめんっ、起こした……?」
 ライトを覗き込む様にして、一人の少女がベッド脇に立っている。
「ルナ……儀式は?」
「抜け出してきた…………傷、大丈夫?」
 ルナの手がライトの肩口を触る。僅かに痛みを感じたライトは、思わず顔をしかめた。

「っ……」
「あっ、ごめん……」
 ルナは慌てて手を引っ込めた。うなだれる様に下を見つめ、口をキュッと結んでいる。
 ライトは必死に手を動かすと、ルナの指先を握った。
「……とりあえず、無事で良かったよ……ルナも……ウィルもね」
 ルナの指先に力が入る。ライトはそれに応え、指先を握り返した。
「……ぼく、今日みたいにドジしちゃうかもしれないけどさ……出来るだけ……ルナの足を引っ張らないようにするから……」
「違うよ、助かったのは私だよ……」
ルナの目には涙が光っている。
「助けてくれて……ありがとう。そして、ごめんね……」
「……こちらこそ、ありがとうだよ」
 握り締めた指先が痛い。
 それでも、ルナが指を放すことはなかった。



 街の光が眼下に広がる。
 広場の炎は闇を照らすように燃え続け、新たな聖女の誕生を精霊達に伝えている。

「……シェン」
 ブレイズの言葉に闇から一つの影が現われた。まだ幼さを残す風貌に似合わず、顔には厳しい表情を浮かべている。
「……なんだ、その顔は。せっかく話を聞いてやろうというのに……」
「……だからですよ。ここで貴方を説得しなければ、また戦が起こりますから……」
 少年――シェンは肩を竦めてみせた。わざわざ危険を冒してまでやってきたのだ、決意は本物なのだろう。
 
「なら話は早い、今の俺の力はわかっただろう? この状態の俺に、一体何をしろと……」
「貴方にしか出来ないんです」
 シェンは頑として譲らない。
 ブレイズをじっと睨み付けた顔には、やはり強い決意が見受けられた。
 
「……まぁいい。だが、俺は……いや、我々は、あの事を今だに忘れたわけじゃない……もしお前がここに長く留まれば、他の者がお前の元へとやってくるだ ろう。……賢者モレクよ、許すことは出来ないだろうからな」
「……それは、我らも同じです。……守護者ブレイズ」
 シェンの眼差しが、一瞬だけ険を帯びた。
 ブレイズは苦笑すると、シェンに向かってゆっくりと近づいていく。互いに触れ合うことが出来る距離まで近づくと、ブレイズはシェンの頭に右手を乗せた。
 そうして、頭をくしゃくしゃと掻き回す。

「……すまんな。今の俺には、力を制御する事もできん。あの様に呑まれ、暴走してしまうことすらあるのだ。……お前は大丈夫か?」
「……一度だけ、呑まれかけました。それ以来、グティは心配して、力を押さえてくれます」
《…………私のせいで彼を傷つけたくはありませんから》
 シェンの言葉に反応するように、優しく声が響いた。
 その言葉に、ブレイズは苦笑しながらゆっくりと頷く。

《うむ、誰かにもそれ位の配慮が欲しいものだ》
《うるさいよ、お爺さん。それが出来たら苦労しない》
《貴様っ、あれ程年寄りと呼ぶなと言ったはずだ! ……第一、外見年齢はお前と大して違わないように変えている。人の努力を……》
 頭の中で声が聞こえる。
 二人の言い争いに、ブレイズとシェンは思わず吹き出した。
 微かに笑みを浮かべながら、ブレイズはシェンに向き直る。
「……さて、シェン。お前の考えを聞こうか……」
 ブレイズの視線を受けとめ、シェンはゆっくりと口を開いた。  



 ブレイズさんが帰ってきたのは、夜も大分遅くなってからだと思う。

 半分眠りに落ちかけていたぼくの手をルナはそっと離すと、ブレイズさんと何事か話し合っていた。
 
 何を話していたかは分からなかったけど、病室に戻ってきたブレイズさんは何だか怖くて…………そしてどこか悲しそうな、疲れた顔をしていた。

 ぼんやりとした頭で考えることが出来たのはそこまでで、ぼくはゆっくりとそのまま眠りに落ちていった。
  

   

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2006年7月25日更新