第五話


戦いの後


 外からは太鼓の音が響いていた。
 一定のリズムで繰り返される太鼓の音に、ライトは眠りに引き込まれそうになる。

「……疲れたか?」
 頭の上から声がした。
 見ると、ブレイズがこちらを見下ろしている。
 ベッドから体を起こそうとするライトを、ブレイズは慌てて押し止めた。
「コラ、傷が塞がったとはいえ、無茶はするな。……悪いが、出発の日取りを変える訳にはいかん。明日は頑張って歩くことになるぞ」
「はい……あの、ブレイズさん。ブレイズさんは、ぼくと会ったことありませんか?」
「…………どうしてそう思う?」
 ブレイズが静かな口調で問いかけてくる。
「おかしいですよね、ぼくは、この世界にやってきたばかりなのに……でも、変な夢を見るんです。ブレイズさんも……夢の中に出てきました。これって、どう してなんでしょう……?」
「……悪いが、一度会っている人間を忘れてしまう、そこまで記憶力は衰えてはいないぞ? ……ただ、呼ばれた異界人というのは、この世界に必要だから呼ばれた者だ。君とこの世界との関わりが、ゼロであるとは断言できない」
「はい」
 ベッドに横たわったまま、ライトは答えた。

 今日一日の事が走馬灯のように蘇ってくる。
 紛れもない事実、それはライトがいるこの世界が、ライトのいた世界とは違うということ。
 この世界では、自分は完全に守られる立場であるということ。
 そして、一人の女の子に頼らなければ、自分の身さえ危うくなるということ。
 
 ……これから……どうなるんだろう。
 ライトの心は晴れなかった。

「……ウィルが君に謝っていた。『約束を守れなくてごめん』、とな。あいつの泣いている姿なんて久々に見たよ。……許せとは言わんが、あいつなりに必死 だったのだろう。わかってやってくれ」
 ブレイズは穏やかな口調で言った。
「……ウィルは、大丈夫なんですか?」
 ライトの言葉にブレイズは軽く目を見張る。そうしてゆっくりとライトの頭を撫でた。
「……ああ、しばらく休めば、すぐに回復するだろう」
「よかった……」
「ああ」
 ブレイズの視線が窓の外に移る。
「本当にな……」



「……なぁアルト、あいつらどう思う?」
 カイルの問い掛けに、アルトは軽く首を傾げた。

「どうって?」
「だから、あいつら師匠の知り合いだったんだろ?なのに、俺たちには何にも教えてくんねぇし、それに……」
「兄さんには兄さんの考えがあるんでしょ」
 カイルの問い掛けをぴしゃりとはねつけて、アルトは本に視線を戻した。別に続きが気になるわけではない、一人の世界に入りたかったのだ。
 先程からアルトの頭を悩ませているもの、それは紛れもなくカイルの疑問そのものだった。

 カイルは忘れているようだが、あの長身の男が『ハイエル王国』の者だと名乗ったのを、アルトは確かに聞いた。自分ならばもう少し相手に喋らせて情報を得 たのだが、如何せんカイルは直ぐ様戦いを始めてしまった。物陰に潜んでいたアルトは思わず頭を抱えたのである。
 
 『ハイエル王国』。
 すなわち『トルティーヤ』の国家ではない、『バーヌース』大陸の国家ということになる。
 トルティーヤとバーヌースはかつての大戦の遺恨から、長きに渡って交流がないはずだ。
 大戦そのものも、もはや伝説と化し、資料を探すことさえ困難になっている。
 ブレイズはどうして彼らを知っていたのか?
 少年が叫んだ『師匠っ!』という言葉が、アルトの心に引っ掛かっていた。

「アルト」
 扉が開いてブレイズが顔を出した。
「兄さん、ライトは?」
「眠ったよ。……俺はバキンズ殿に呼ばれてるから行ってくるが、後の事は頼んだぞ」
 ルナの護衛をはじめ、負傷者で診療所は一杯だった。本来ならば、医師が診療所を空けることが出来る状況ではないのだが、アルトがいれば大丈夫だと判断し たらしい。
「うん、任せて!」
「ああ。……それからカイル、お前も来い」
「俺も?」
「ああ」
 ブレイズはそのまま外に出ていく。
「おい師匠! 待てよ!」
 カイルは慌てて診療所を飛び出した。



「……ここでいいだろう」
 診療所の裏庭でブレイズは静かに言った。
 カイルの方に向き直り、ゆっくりと刀を抜く。

「カイル、久々に見てやろう。今日の俺は消耗している。お前には有利のはずだ……」
 侵略者との戦闘でのマナの消耗、長時間にわたる手術でブレイズはかなり疲れているはずだ。言い換えれば、今のブレイズに一撃を加えられなければ不合格と いうことなのだろう。
「……お願いします、師匠」
「ああ。……お願いします」
 カイルの礼に、ブレイズが答礼を返す。
 
 カイルはゆっくりと剣を抜くと、ブレイズに向かって走りだした。
 ブレイズは剣を構えたまま動かない。
 カイルはブレイズの胸元目がけて思いっきり剣を突き立てた。

 衝撃が剣に伝わる。

 だが、カイルの剣先はブレイズの刀で正確に受けとめられていた。
 ブレイズはカイルの剣を払うと、下から袈裟掛けに剣を振り抜く。風を切り裂く音が耳元で聞こえ、カイル体を退いてそれをかわした。

「……どうした?お前の全力はこんなものか」
 ブレイズはじっとカイルを見つめる。
「そんなわけねぇーだろっ!」
 カイルはブレイズを睨み付けた。

 悔しいが剣の技術では遠く及ばない。
 カイルが勝てるもの、それは……スピードとパワーだ。

 カイルは再び剣を構えるとブレイズに向かって駆け出した。
 さっきよりも速く、力が剣に伝わるように。
 振りは小さく、鋭く、教えられた事を思い出すように。
 ブレイズ目がけて、カイルの剣が鋭く振り抜かれる。

 鋭い金属音が周囲に響いた。

 静寂の中、カイルの荒い息遣いだけが周囲に響いている。
「……カイル」
 ブレイズはカイルの頭をポンと叩いた。
「やればできるじゃないか」
 地面にブレイズの刀が転がっている。カイルの剣がブレイズの剣に勝り、地面に叩き落としたのだ。
 
「……師匠」
「合格、だな」
 ブレイズはカイルの頭を撫でながら、幸せそうに微笑んだ。



 バキンズの顔色は優れなかった。
 出された紅茶に口を付けながら、カイルは自分が連れてこられた理由を考えていた。
 
「……ブレイズ殿、お願いがあります」
 突如、バキンズは机に頭を付けて平伏した。
 一体どういう事だろう。
 いくらブレイズが信頼を受けているからといって、仮にも領主が、貴族階級の者が平民に頭を下げることなど、常識的に考えてありえなかった。
 
「……ルナの護衛を、引き受けて頂けないでしょうか?」
 
 カイルは驚いてブレイズを見つめた。
 ブレイズはおそらくバキンズの話を予測していたのだろう……だから自分を連れてきた?
 バキンズをじっと見つめ、ブレイズはゆっくりと口を開いた。
「……私が行けば、いらぬ苦労をルナに背負わせるかもしれません。それでも良いと?」
「あなた以外に、我が娘を託せる方はいないのです。ブレイズ殿、どうか……どうか……」
 バキンズはひたすら頭を下げ続ける。
 やがて、観念したようにブレイズは口を開いた。

「……条件があります」
「ブレイズ殿っ、では!?」
「ええ、ルナの護衛、引き受けましょう」
「ああっ、ありがとうございます!本当に……ありがとうございます……条件というのも何なりと申してください、勿論、報酬の方も……」
「無理をなさるな、バキンズ殿」
 ブレイズはバキンズの話を打ち切った。
「あれだけの護衛を雇ったのです。前金だけでもかなりのものになったでしょう……とりあえず王都までの旅費で結構。後は道々稼ぎますよ」
「はぁ……では、条件とは……?」
 ブレイズに向かってバキンズは身を乗り出した。
 
「……一つは、アルトとウィルの事です。私が行けば、あの子達の面倒を見る事が出来なくなる。誰かあの子達の世話をしてくれる者を用意してください。二 つ目は学 校と診療所の事です。私の代わりの医者と教員をすぐに手配してください。そして、最後に……」
 ブレイズはしばらく黙ったままだったが、やがてカイルに目を向ける。
 
「……カイルを護衛として連れていきたいと思います。無論、この子が了承すれば、ですが……」
 
 バキンズとブレイズ、二人の目線がカイルに向けられる。突然の事態に、カイルは声を出すことを忘れたように茫然としていた。
「……当然ながら、連れていくからには師弟ではなく、相棒ということになる。ルナとライト、二人同時の護衛は俺一人では手に余る。どうだ、手を貸してく れない か?」

 ブレイズはカイルをじっと見つめてくる。
 カイルは唾を飲み込むと、ブレイズに向かってゆっくりと頷いた。
   

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2006年7月25日更新