4 因縁 「……どういう事?」 「言葉通りだよ。そのブレイズという医者を呼んでほしい」 アルトの言葉に少年は淡々と答えた。 少年の隣には、カイルと剣を交えていた男が立っている。戦いを中断されたカイルは、不満げに少年を睨んでいた。 「……兄さんに何の用?」 「兄さん?」 少年は軽く首を傾げた。 「……なるほど、またやってるんだ……懲りないね、あの人も……」 少年は軽く笑みを零すと、ゆっくりと目をつぶる。 「閣下?」 「…………来た」 少年の言葉と共に周囲の風が爆発した。 狂ったように風が吹き荒れ、目を開ける事はもちろん、立っている事すら困難になる。一瞬でも気を抜けば、そのまま吹き飛ばされてしまうだろう。 強風の中、アルトは目を細めて少年を注視した。少年は剣に手を掛けたまま、じっと目を閉じている。 刹那、少年は目を見開くと、素早く剣を抜き放った。 物凄い風圧が襲い掛かり、アルトはとっさに目を閉じる。 高く鋭い金属音が周囲に響き渡った。 何が起こったのだろう。 目をつぶったまま、アルトは周囲の様子を窺った。周りから音が聞こえなくなっている。まるで草木さえ動きを止めているようだ。 『戦いにおいて、いかなる場合でも決して目をつぶるな』 ブレイズの言葉が甦ってくる。 このままじゃ埒があかない、辺りを包む静寂の中、アルトはゆっくりと目を開いた。 二つの人影が視界に飛び込んでくる。一人は少年、そしてもう一人は…… 「兄さん!」 「師匠!」 アルトとカイルは同時に叫んだ。 少年と向かい合ったブレイズの右手には、自身の愛刀が握られている。 体からはマナが満ち溢れ、神聖な空気を放っている。まるで二人の声が聞こえないかのように、少年を真っすぐに見つめていた。 「……お久しぶりです、ブレイズ殿」 「……」 少年が呟くが、ブレイズは無表情のままそれを黙殺した。 「……今回の無礼をお許しください。ですが、我々にも理由があるのです。どうか話を……」 少年の言葉を待たずに、ブレイズは右手を前に突きだす。 「……っ!」 少年はとっさに両手を前に突きだし、魔法による障壁を形成した。 「……吹き飛べ」 ブレイズの言葉と共に風が爆発した。極限まで圧縮された空気が少年に向かっていく。 少年が作り出した障壁が砕け、風圧がその身に直撃した。 「閣下!」 吹き飛ばされた少年を男が抱き留める。 胸を押さえた少年は男を手で制すると、ゆっくりと立ち上がった。 「……大丈夫だよ、クロム」 「ですがっ……」 「……マズイな、オリーを出してきたか……」 少年がポツリと呟く。 そうして、おもむろに剣を引いた。 「クロム、預かってて」 剣を男に渡すと、少年はブレイズに向かって歩きだす。 「閣下っ!」 自分を呼ぶ声に少年は振り返ると、男に向かってにっこりと笑い掛けた。少年を止めようとしていた男は、唇を噛むと差し出しかけていた手を下ろす。 再びゆっくりと歩きだした少年を見て、ブレイズは自身の剣を下ろした。 そのまま低い声で問い掛ける。 「……どういうつもりだ、モレク殿。貴国はカイゼルと戦をするつもりか?」 ブレイズの数メートル手前で、少年は歩みを止めた。 「……はい、我が王はそのつもりです」 「ならば……」 「待ってください!」 ブレイズの声を遮るように少年は力の限り叫んだ。 「オレはそれを止めたいんです! もう昔のような事はたくさんだ!! ブレイズ元帥っ、いや、師匠! オレは……」 「お前に師匠と呼ばれる所以はない。シェン・アラン・モレクよ」 ブレイズの言葉に少年は下を向いた。 拳を握り締め、歯を食い縛っている。 黙り込んでしまった少年を見ていたアルトは、ふと、ブレイズの周囲の変化を感じ取った。 ブレイズの周囲のマナが変化している。 神聖な空気から次第に澱みを帯びて、今やブレイズにまとわり付いている様にさえ見える。 「ね、ねぇ、兄さん……」 ブレイズの視線がアルトに向けられた。 だが目が合った瞬間、アルトは叫びだしそうになるのを必死で堪えた。 いつもの優しい眼差しは消え去り、その表情はアルトが今まで知らないものであった。 顔は憎しみで歪み、目だけはギラギラと輝いている。 それが本当にブレイズなのかさえ、アルトは判断できなかった。 「……に、兄さん?」 声が震えた。 隣ではカイルが茫然とブレイズを見つめている。 そんな二人を見つめて、ブレイズは微かに笑みを零した。怯えている二人を見て、それを楽しんでいるかのような冷たい笑い。 背筋に悪寒が走り抜けた。 「……っ、に、兄さん!!」 恐怖に負けないように、アルトは叫んだ。 ブレイズの周囲に漂う汚れたマナを追い払いたかった。 その思いが通じたのか、声を聞いたブレイズの表情が一瞬歪む。 「……アルト……か?」 ブレイズの周囲のマナが少しずつ薄れていく。 崩れ落ちそうになるブレイズの体を、飛び出したカイルが支えた。 「師匠!」 「……カイル、すまん……」 カイルに体を預け、ブレイズは何とか立ち上がる。 「……やはり、衰えたものだ……」 「えっ?」 カイルの言葉に答えず、ブレイズは少年に向き直った。 そのまま静かな声で言う。 「……シェン、お前の部下が村の中で寝ている。邪魔だから持っていけ」 「……わかりました」 ブレイズの隣を少年が通り過ぎる。 「…………へ来い……」 その瞬間、ブレイズが少年に何事か囁いたのを、カイルは聞き逃さなかった。 一方、アルトはその場にへたり込みそうになるのを、必死で耐えていた。 ブレイズが見せたあの力、そしてマナの変容は、一体何だったのか。 頭の中はそれで一杯だった。 《……エルフの少年よ…………》 不意に、頭の中に声が聞こえてきた。 「……!!」 息を呑むアルトをよそに、声はそのまま話し続ける。 《お前のその勇敢な心、しかと見せてもらった。……感謝する》 姿は見えないが、何かが離れていくのがわかった。 多分、今の声は―― 「アルト?」 後ろから声が掛かる。見ると、カイルが首を傾げこちらを見つめていた。 その横ではブレイズかいつもの優しげな眼差しを向けている。 「……ううん、なんでもない」 言葉を発しながらブレイズの方を盗み見る、ブレイズはアルトの視線に対して僅かに頷いた。 そのまま、疲れ切った声を出す。 「……さて、どうやらウィルの方が大変らしい。負傷者もこの有様だ。俺は学校に向かう。……アルト、診療所の準備を頼むぞ。カイル、お前はここの負傷者 を頼む」 「は、はいっ!」 二人の声がきれいに重なった。 |