因縁


「……どういう事?」
「言葉通りだよ。そのブレイズという医者を呼んでほしい」
 アルトの言葉に少年は淡々と答えた。

 少年の隣には、カイルと剣を交えていた男が立っている。戦いを中断されたカイルは、不満げに少年を睨んでいた。
「……兄さんに何の用?」
「兄さん?」
 少年は軽く首を傾げた。
「……なるほど、またやってるんだ……懲りないね、あの人も……」
 少年は軽く笑みを零すと、ゆっくりと目をつぶる。
「閣下?」
「…………来た」

 少年の言葉と共に周囲の風が爆発した。
 狂ったように風が吹き荒れ、目を開ける事はもちろん、立っている事すら困難になる。一瞬でも気を抜けば、そのまま吹き飛ばされてしまうだろう。
 強風の中、アルトは目を細めて少年を注視した。少年は剣に手を掛けたまま、じっと目を閉じている。
 
 刹那、少年は目を見開くと、素早く剣を抜き放った。

 物凄い風圧が襲い掛かり、アルトはとっさに目を閉じる。
 高く鋭い金属音が周囲に響き渡った。
 何が起こったのだろう。
 目をつぶったまま、アルトは周囲の様子を窺った。周りから音が聞こえなくなっている。まるで草木さえ動きを止めているようだ。

『戦いにおいて、いかなる場合でも決して目をつぶるな』

 ブレイズの言葉が甦ってくる。
 このままじゃ埒があかない、辺りを包む静寂の中、アルトはゆっくりと目を開いた。
 二つの人影が視界に飛び込んでくる。一人は少年、そしてもう一人は……
「兄さん!」
「師匠!」
 アルトとカイルは同時に叫んだ。
 
 少年と向かい合ったブレイズの右手には、自身の愛刀が握られている。
 体からはマナが満ち溢れ、神聖な空気を放っている。まるで二人の声が聞こえないかのように、少年を真っすぐに見つめていた。
「……お久しぶりです、ブレイズ殿」
「……」
 少年が呟くが、ブレイズは無表情のままそれを黙殺した。
「……今回の無礼をお許しください。ですが、我々にも理由があるのです。どうか話を……」
 少年の言葉を待たずに、ブレイズは右手を前に突きだす。
「……っ!」
 少年はとっさに両手を前に突きだし、魔法による障壁を形成した。
「……吹き飛べ」

 ブレイズの言葉と共に風が爆発した。極限まで圧縮された空気が少年に向かっていく。
 少年が作り出した障壁が砕け、風圧がその身に直撃した。

「閣下!」
 吹き飛ばされた少年を男が抱き留める。
 胸を押さえた少年は男を手で制すると、ゆっくりと立ち上がった。
「……大丈夫だよ、クロム」
「ですがっ……」
「……マズイな、オリーを出してきたか……」
 少年がポツリと呟く。
 そうして、おもむろに剣を引いた。

「クロム、預かってて」
 剣を男に渡すと、少年はブレイズに向かって歩きだす。
「閣下っ!」
 自分を呼ぶ声に少年は振り返ると、男に向かってにっこりと笑い掛けた。少年を止めようとしていた男は、唇を噛むと差し出しかけていた手を下ろす。
 再びゆっくりと歩きだした少年を見て、ブレイズは自身の剣を下ろした。
 そのまま低い声で問い掛ける。

「……どういうつもりだ、モレク殿。貴国はカイゼルと戦をするつもりか?」
 ブレイズの数メートル手前で、少年は歩みを止めた。
「……はい、我が王はそのつもりです」
「ならば……」
「待ってください!」
 ブレイズの声を遮るように少年は力の限り叫んだ。
「オレはそれを止めたいんです! もう昔のような事はたくさんだ!! ブレイズ元帥っ、いや、師匠! オレは……」
「お前に師匠と呼ばれる所以はない。シェン・アラン・モレクよ」
 ブレイズの言葉に少年は下を向いた。
 拳を握り締め、歯を食い縛っている。

 黙り込んでしまった少年を見ていたアルトは、ふと、ブレイズの周囲の変化を感じ取った。
 ブレイズの周囲のマナが変化している。
 神聖な空気から次第に澱みを帯びて、今やブレイズにまとわり付いている様にさえ見える。
「ね、ねぇ、兄さん……」
 ブレイズの視線がアルトに向けられた。
 だが目が合った瞬間、アルトは叫びだしそうになるのを必死で堪えた。

 いつもの優しい眼差しは消え去り、その表情はアルトが今まで知らないものであった。
 顔は憎しみで歪み、目だけはギラギラと輝いている。
 それが本当にブレイズなのかさえ、アルトは判断できなかった。

「……に、兄さん?」

 声が震えた。
 隣ではカイルが茫然とブレイズを見つめている。
 そんな二人を見つめて、ブレイズは微かに笑みを零した。怯えている二人を見て、それを楽しんでいるかのような冷たい笑い。
 背筋に悪寒が走り抜けた。

「……っ、に、兄さん!!」
 恐怖に負けないように、アルトは叫んだ。
 ブレイズの周囲に漂う汚れたマナを追い払いたかった。
 その思いが通じたのか、声を聞いたブレイズの表情が一瞬歪む。
「……アルト……か?」
 ブレイズの周囲のマナが少しずつ薄れていく。
 崩れ落ちそうになるブレイズの体を、飛び出したカイルが支えた。
「師匠!」
「……カイル、すまん……」
 カイルに体を預け、ブレイズは何とか立ち上がる。
「……やはり、衰えたものだ……」
「えっ?」
 カイルの言葉に答えず、ブレイズは少年に向き直った。
 そのまま静かな声で言う。
 
「……シェン、お前の部下が村の中で寝ている。邪魔だから持っていけ」
「……わかりました」
 ブレイズの隣を少年が通り過ぎる。
「…………へ来い……」
 その瞬間、ブレイズが少年に何事か囁いたのを、カイルは聞き逃さなかった。

 一方、アルトはその場にへたり込みそうになるのを、必死で耐えていた。
 ブレイズが見せたあの力、そしてマナの変容は、一体何だったのか。
 頭の中はそれで一杯だった。

《……エルフの少年よ…………》

 不意に、頭の中に声が聞こえてきた。
「……!!」
 息を呑むアルトをよそに、声はそのまま話し続ける。

《お前のその勇敢な心、しかと見せてもらった。……感謝する》

 姿は見えないが、何かが離れていくのがわかった。
 多分、今の声は――
 
「アルト?」
 後ろから声が掛かる。見ると、カイルが首を傾げこちらを見つめていた。
 その横ではブレイズかいつもの優しげな眼差しを向けている。
「……ううん、なんでもない」
 言葉を発しながらブレイズの方を盗み見る、ブレイズはアルトの視線に対して僅かに頷いた。
 そのまま、疲れ切った声を出す。
 
「……さて、どうやらウィルの方が大変らしい。負傷者もこの有様だ。俺は学校に向かう。……アルト、診療所の準備を頼むぞ。カイル、お前はここの負傷者 を頼む」
「は、はいっ!」
 二人の声がきれいに重なった。

   

  戻る
2006年6月24日更新