3 夢、記憶 嫌な音が耳を掠めた。
カイルの狩りについて行く時に耳にする音。続いて、鼻に付く錆付いた匂いが辺りに充満していく。 恐る恐る視線を向けたウィルの体に戦慄が走った。 体が芯から冷えていくような感じかする。視線の先には、体を深紅に染めたライトが倒れていた。 その傍らでルナが茫然と立ち尽くしている。黒装束が剣先に滴った雫を払うと、ルナの顔に赤い染みが付着した。 事実を理解した瞬間、心臓が焼け付くように痛んだ。 呼吸が苦しくなり、立っている事すら困難になる。 体の底から沸き上がってきた力が心を飲み込もうとするのを、ウィルは必死に耐えた。 何とか意識を保ったウィルは、目の前に立ちふさがる黒装束を見つめる。 力を解放すれば、少なくともこの危機からは脱することができる。だが、その代償はあまりにも大きい。 ウィルが『戦えない』理由、それは―― 「ウィル!」 ルナの叫び声が鼓膜に突き刺さる。 ウィルは後ろに飛び退いて、黒装束の斬撃をかわした。 迷っている暇はない。 ライトの傷は深い、だが、ルナの治癒があれば十分対応できるはずだ。その為にも、一刻も早く敵を倒さなくてはならない。 自分は約束したのだ。自分を信頼してくれたライトに応えなくては約束を違う事になる。 『義を以て、義に報いろ』 義とは恩義、忠義、そして……信義だ。 ウィルは視線をずらすと、ルナをじっと見つめた。解放した力を止められるのは、ここではルナだけだ。 「ルナ、後は……頼んだよ」 ウィルは右手を前にかざすと、押さえ込んでいた力を解放した。 ・
ぼやけた視界に女の人の顔が浮かんだ。
金色の瞳がライトをじっと見つめている。 ……ルナ? 名前を呼ぼうとするが声が出なかった。 いや、ちがう。 どこか違和感がある。この人は……ルナじゃない。 ルナより年上の……少女というよりは女性という年齢に見える。 そうか、これは夢だ。 そう理解すると体の力が抜けた。 いつも見ていた夢の続きなのか、それとも、その前なのか。ライトには判断が付かない。 自分はベッドのような場所に寝かされているようだ。 女の人はライトを軽々と抱き上げる。その事によってライトの視界が開け、部屋の様子が明らかになった。 石造りの重厚な壁、赤々と火が揺らめく暖炉、広い部屋に何人もの人々が集まっているようだ。 どこかの城の一室だろうか、子供から老人まで、様々な服装をした人々がテーブルを囲んでいる。みな楽しそうに笑いながら、食事を楽しんでいるらしい。 やがて、ライトを抱えた女の人に、テーブルを離れ二人の男が近づいてきた。 そのうちの一人の男の顔を見た瞬間、ライトは思わず声を上げた。 ……えっ、ぶっ……ブレイズさん? たがそれは声にはならず、ライトの心の中にだけ響き渡る。 ブレイズは後ろにもう一人の男、小柄な若者を一人従えている。 まだ少年に見える若者に向かってブレイズは笑い掛け、若者は顔を真っ赤にして下を向いた。 女の人はそれを見て微笑み、ブレイズに向かって何事か話し掛けている。それを受けたブレイズは、少年の後ろの空間に向かって口を開いた。 刹那、全く何もなかった空間に二人の人影が出現した。 一人は全身に黒い布を纏った少年。そしてもう一人は、あの夢の中で洞窟にいた、あのフードを被った薄紫のローブの少年だった。 ブレイズに手招きされ、二人がライトに向かって歩み寄ってくる。 目の前に立ち止まった二人は、一旦伺う様にして女の人の方を見た。女の人は二人に頷き、ライトを彼らに手渡す。 黒衣の少年の手に移ったライトに対して、ローブの少年は恐る恐ると言った様子で頬に触れてくる。 黒衣の少年は困ったように女の人を見つめ、辺りをキョロキョロと見回した。その様子を見た若者が吹き出し、ブレイズは黒衣の少年の頭をくしゃくしゃと撫 で回す。 これは……夢? それとも……記憶? それに、あの人どこかで……。 ライトの呟きと共に視界がぼやけ、意識は遠退いていった。 ・
頬に汗が伝っていくのが分かる。
自らが作り出した結界の乱れを感じ、ルナ は両手に力を込めた。 ウィルの体に集まったマナが収縮し、火球となって黒装束に向かっていく。 吹き飛ばされた黒装束が窓に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。 ウィルを中心として室内の気温は上昇し、肌が焼け付くようになっている。 「バロウズ先生!早く逃げてください!」 ルナの言葉に、小さな女の子を抱えた男性教師は慌てて教室を飛び出した。それを見届けたルナは、教室内を包むように素早く結界を張り直す。 ウィルが力を解放してしまった。 止められるのは自分だけ、けれども、ライトには一刻も早い治癒が必要だ。 一体どうしたら―― 「……この結界、キミが張ったんだね」 思案に耽っていたルナに、突如声が掛け られた。 慌てて振り向くと、気付かぬ内に二人の子供が結界内へと侵入していた。 村では見かけない子供だ。一人は全身に黒い布を身に纏い、もう一人は薄紫のローブを頭から被っている。 結界に入り込めるということは、自分より力が上の聖職者、もしかすると精霊か神か……。 声が出ないルナを見て、ローブの少年は感心したように言った。 「……この爺さんがこの中に入るのに若干苦労していたから。珍しく、ね」 「この娘はあれの弟子だ。 いくら我とて、簡単にはいかん。…………それから、年寄りとは呼ぶな」 水を向けられた黒衣の少年は、淡々と言い返す。 あれの弟子……『あれ』とはまさかブレイズのことだろうか? 二人の少年はライトの傍にしゃがみ 込むと、ルナに向かって宣言した。 「この子は僕達が……キミはあの子を……」 ローブで隠れているため顔の表情は分からないが、恐らく笑いかけている のだろう。 ルナは反射的にその言葉に従った。ウィルに少しずつ近付き、そっと抱き締める。 「……ル……ナ……」 「ウィル、少しだけ我慢して……」 ルナが力 を解放する。 光がウィルを包み込み、ゆっ くりと体内に吸い込まれていく。 「……くぅっ……うっ……ぐっ………」 ウィルは歯を喰い縛り、光が体内に吸い込まれるのをじっと耐えた。 ゆっくりと時間を 掛けて光が体内に入り終えると、ウィルは糸が切れたように意識を失った。 ルナは力の抜けたウィルの体を床に横たえる。 顔色はよくないが、暴走は納まったら しい。ルナはホッと息を付くと、ライトの方に駆け寄った。それを見た少年二人はルナに場所を開け、自らはすぐ横に待機する。 見ると、ライトの出血は治まっ ていた。 「あの、ライト君は?」 「……大丈夫、峠は越えたよ」 「後は、お前の師匠に任せれば問題はない」 そう宣言して、少年二人はルナをじっと見つめた。 そのまま、ライト、ウィルへ順に視線をずらす。 「聖女よ、お前は……」 黒衣の少年は口を開きかけ、じっと思案するように口をつぐんだ。 「……いや、やはり…………んっ?」 再び口を開こうとした次の瞬間、黒衣の少年は弾かれたように窓の外を見る。 「……この気は…………まさか、あの馬鹿がっ」 そう呟くや否や少年の身が光に包まれる。目を開けていられないほどの閃光を放ち、次の瞬間、少年の姿は消え去っていた。 教室内にはルナとウィル、そしてローブの少年が残された。 呆気にとられているルナに向かって、ローブの少年はぽつりと告げる。 「……ごめん」 「……えっ?」 ローブの少年はそのまま立ち去ろうとする。 「待って!それって一体……」 「ごめん……そう伝えて」 そう一言告げて、次の瞬間、ローブの少年の姿は音もなく消え去った。 |