夢、記憶


 嫌な音が耳を掠めた。
 カイルの狩りについて行く時に耳にする音。続いて、鼻に付く錆付いた匂いが辺りに充満していく。

 恐る恐る視線を向けたウィルの体に戦慄が走った。
 体が芯から冷えていくような感じかする。視線の先には、体を深紅に染めたライトが倒れていた。
 その傍らでルナが茫然と立ち尽くしている。黒装束が剣先に滴った雫を払うと、ルナの顔に赤い染みが付着した。

 事実を理解した瞬間、心臓が焼け付くように痛んだ。
 呼吸が苦しくなり、立っている事すら困難になる。
 体の底から沸き上がってきた力が心を飲み込もうとするのを、ウィルは必死に耐えた。
 何とか意識を保ったウィルは、目の前に立ちふさがる黒装束を見つめる。

 力を解放すれば、少なくともこの危機からは脱することができる。だが、その代償はあまりにも大きい。
 ウィルが『戦えない』理由、それは――

「ウィル!」

 ルナの叫び声が鼓膜に突き刺さる。
 ウィルは後ろに飛び退いて、黒装束の斬撃をかわした。
 迷っている暇はない。
 ライトの傷は深い、だが、ルナの治癒があれば十分対応できるはずだ。その為にも、一刻も早く敵を倒さなくてはならない。
 自分は約束したのだ。自分を信頼してくれたライトに応えなくては約束を違う事になる。

 『義を以て、義に報いろ』
 義とは恩義、忠義、そして……信義だ。
 
 ウィルは視線をずらすと、ルナをじっと見つめた。解放した力を止められるのは、ここではルナだけだ。
 
「ルナ、後は……頼んだよ」
 ウィルは右手を前にかざすと、押さえ込んでいた力を解放した。





 ぼやけた視界に女の人の顔が浮かんだ。
 金色の瞳がライトをじっと見つめている。

 ……ルナ?

 名前を呼ぼうとするが声が出なかった。
 
 いや、ちがう。

 どこか違和感がある。この人は……ルナじゃない。
 ルナより年上の……少女というよりは女性という年齢に見える。

 そうか、これは夢だ。

 そう理解すると体の力が抜けた。
 いつも見ていた夢の続きなのか、それとも、その前なのか。ライトには判断が付かない。
 自分はベッドのような場所に寝かされているようだ。
 女の人はライトを軽々と抱き上げる。その事によってライトの視界が開け、部屋の様子が明らかになった。

 石造りの重厚な壁、赤々と火が揺らめく暖炉、広い部屋に何人もの人々が集まっているようだ。
 どこかの城の一室だろうか、子供から老人まで、様々な服装をした人々がテーブルを囲んでいる。みな楽しそうに笑いながら、食事を楽しんでいるらしい。

 やがて、ライトを抱えた女の人に、テーブルを離れ二人の男が近づいてきた。
 そのうちの一人の男の顔を見た瞬間、ライトは思わず声を上げた。

 ……えっ、ぶっ……ブレイズさん?

 たがそれは声にはならず、ライトの心の中にだけ響き渡る。
 ブレイズは後ろにもう一人の男、小柄な若者を一人従えている。
 まだ少年に見える若者に向かってブレイズは笑い掛け、若者は顔を真っ赤にして下を向いた。
 女の人はそれを見て微笑み、ブレイズに向かって何事か話し掛けている。それを受けたブレイズは、少年の後ろの空間に向かって口を開いた。

 刹那、全く何もなかった空間に二人の人影が出現した。

 一人は全身に黒い布を纏った少年。そしてもう一人は、あの夢の中で洞窟にいた、あのフードを被った薄紫のローブの少年だった。
 ブレイズに手招きされ、二人がライトに向かって歩み寄ってくる。
 目の前に立ち止まった二人は、一旦伺う様にして女の人の方を見た。女の人は二人に頷き、ライトを彼らに手渡す。
 黒衣の少年の手に移ったライトに対して、ローブの少年は恐る恐ると言った様子で頬に触れてくる。
 黒衣の少年は困ったように女の人を見つめ、辺りをキョロキョロと見回した。その様子を見た若者が吹き出し、ブレイズは黒衣の少年の頭をくしゃくしゃと撫 で回す。

 これは……夢?
 それとも……記憶?
 それに、あの人どこかで……。

 ライトの呟きと共に視界がぼやけ、意識は遠退いていった。





 頬に汗が伝っていくのが分かる。
 自らが作り出した結界の乱れを感じ、ルナ は両手に力を込めた。

 ウィルの体に集まったマナが収縮し、火球となって黒装束に向かっていく。
 吹き飛ばされた黒装束が窓に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
 ウィルを中心として室内の気温は上昇し、肌が焼け付くようになっている。

「バロウズ先生!早く逃げてください!」
 ルナの言葉に、小さな女の子を抱えた男性教師は慌てて教室を飛び出した。それを見届けたルナは、教室内を包むように素早く結界を張り直す。

 ウィルが力を解放してしまった。
 止められるのは自分だけ、けれども、ライトには一刻も早い治癒が必要だ。
 一体どうしたら――

「……この結界、キミが張ったんだね」

 思案に耽っていたルナに、突如声が掛け られた。
 慌てて振り向くと、気付かぬ内に二人の子供が結界内へと侵入していた。
 村では見かけない子供だ。一人は全身に黒い布を身に纏い、もう一人は薄紫のローブを頭から被っている。
 結界に入り込めるということは、自分より力が上の聖職者、もしかすると精霊か神か……。
 
 声が出ないルナを見て、ローブの少年は感心したように言った。
「……この爺さんがこの中に入るのに若干苦労していたから。珍しく、ね」
「この娘はあれの弟子だ。 いくら我とて、簡単にはいかん。…………それから、年寄りとは呼ぶな」
 水を向けられた黒衣の少年は、淡々と言い返す。

 あれの弟子……『あれ』とはまさかブレイズのことだろうか?
 
 二人の少年はライトの傍にしゃがみ 込むと、ルナに向かって宣言した。
「この子は僕達が……キミはあの子を……」
 ローブで隠れているため顔の表情は分からないが、恐らく笑いかけている のだろう。
 ルナは反射的にその言葉に従った。ウィルに少しずつ近付き、そっと抱き締める。
「……ル……ナ……」
「ウィル、少しだけ我慢して……」
 ルナが力 を解放する。
 光がウィルを包み込み、ゆっ くりと体内に吸い込まれていく。
「……くぅっ……うっ……ぐっ………」
 ウィルは歯を喰い縛り、光が体内に吸い込まれるのをじっと耐えた。

 ゆっくりと時間を 掛けて光が体内に入り終えると、ウィルは糸が切れたように意識を失った。
 ルナは力の抜けたウィルの体を床に横たえる。
 顔色はよくないが、暴走は納まったら しい。ルナはホッと息を付くと、ライトの方に駆け寄った。それを見た少年二人はルナに場所を開け、自らはすぐ横に待機する。
 見ると、ライトの出血は治まっ ていた。

「あの、ライト君は?」
「……大丈夫、峠は越えたよ」
「後は、お前の師匠に任せれば問題はない」
 そう宣言して、少年二人はルナをじっと見つめた。
 そのまま、ライト、ウィルへ順に視線をずらす。

「聖女よ、お前は……」
 黒衣の少年は口を開きかけ、じっと思案するように口をつぐんだ。
「……いや、やはり…………んっ?」
 再び口を開こうとした次の瞬間、黒衣の少年は弾かれたように窓の外を見る。
「……この気は…………まさか、あの馬鹿がっ」
 そう呟くや否や少年の身が光に包まれる。目を開けていられないほどの閃光を放ち、次の瞬間、少年の姿は消え去っていた。
 教室内にはルナとウィル、そしてローブの少年が残された。
 呆気にとられているルナに向かって、ローブの少年はぽつりと告げる。

 「……ごめん」

 「……えっ?」
 ローブの少年はそのまま立ち去ろうとする。
 「待って!それって一体……」
 
 「ごめん……そう伝えて」

 そう一言告げて、次の瞬間、ローブの少年の姿は音もなく消え去った。

 
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2006年6月8日更新