代償

 
 ウィルとルナが校内に入ってから、ライトはたっぷり一分を数えた。
 
 もういいだろう。
 裏口のドアから、ライトは校内に侵入した。

 校内は古い田舎の校舎といった佇まいだ。木張りの廊下が長々と続いている。
 ライトはウィルの指示どおり、左へと真っすぐ進み、突き当たりの部屋に入った。
 ウィルの話の通り、そこは職員室だ。いくつもの机が並び、その上には書類が散乱している。いつもは活気あるだろうこの場所も、今は誰もいなかった。

「えーっと……ドアのすぐ傍……」
 目的の物はすぐに見つかった。
 壁に斧が掛かっている。火災などのときに緊急で使うものなのだろう。
 小振りで武器とは言えないようなものだが、贅沢は言えない。後はこれを持ち、廊下の反対側の突き当たり、上級生クラスに急がなく てはならない。
 ライトは斧を掴むと、急いで廊下を引き返した。

 あまり大きな町ではないからだろうか、学校といってもそれほど大きな建物ではない。
 一階建てでL字になっており、長い廊下が続いている。仮に見張りがいたとすれば、一発で見つかってしまうに違いない。
 廊下の突き当たり、L字の角の所で、ライトは向こうの様子を窺った。
 打ち合せでは、ウィルとルナが見張りを倒し、廊下を確保することになっている。ライトが覗き込むと、上級クラスの前で中の様子を探っているウィルとルナ を確認することが出来た。
 ウィルはライトの姿を認めると、手振りでそばに来るように指示する。ライトは音を立てないように慎重に近づいていった。

「ご めん、遅くなって……」
「いや、ベストタイミングだよ」
 ウィルは小声で言う。
「思ったより敵の人数が少なかったから、作戦を建て直してたんだ。……といっても、キミの役割は変わらないから安心して」
 ライトはコクリと頷いた。横に視線をずらすと、黒装束の兵士が倒れているのが見える。
「……あれ、死んでるの?」
「いや、動けないようにしただけ。……不安ならとどめをさしておく?」
「……いや、いいよ」
 可愛い顔をして恐ろしいことを平気で言う。ライトはウィルが少し恐くなった。

「とりあえず、今日一日は確実に伸びたままだよ。急所を潰したから」
「きゅ、急所!?」
 思わず股間を守ったライトに、ウィルは苦笑する。
「まぁ、代表的なのはそこだけど、他にも色々あるんだよ。こめかみや鳩尾、首や背中なんてのもそう。そこを潰せば、殺さずに敵を制することが出来るって わけ」

 どこが『戦えない』だよ……。
 ライトはそう思ったが、口には出さないでおいた。 
 口は災いの元、余計なことは言わない方がいい。
 
「よーし、じゃあ始めるよ。……中の敵は六人。人質は大体十人ちょと。この奇襲で相手を二人減らせれば成功、半分に出来たら大成功だ。いい、ムリは禁 物、いざとなったらすぐ逃げる、自分の身の安全が最優先だよ。わかった?」
 ライトとルナが頷く。
「それじゃあ……」
 ウィルが右手を差し出した。その上にルナ、ライトの手が重ねられる。
 三人は目を合わせると、それぞれの持ち場に散った。



 ライトは二つある教室のドアのうち、前の方のドアへと張りついた。
 後のドアに待機するウィルと目を合わせる。ウィルの合図で、ライトの役割はスタートするのだ。
 心臓の鼓動が早くなっていくのを感じる。体全体が麻痺していくような感覚、自分が緊張していると言うことが嫌というほどわかる。
 ウィルはこちらに向かって微笑むと、大きく頷いた。
 次の瞬間、ウィルの右手が上下に大きく振られた、合図だ。ライトは思いっきってドアを開けた。
 中には沢山の子供が教室の端の方に座らされている。下は幼稚園児位の女の子、上はライトと同じくらいの男の子もいた。二人ほど大人が混ざっているのは、 おそらく教員だろう。一人は年配の女性、もう一人は中年の男性だ。
 教室中の視線が自分に集まっていくのを感じる。ライトは斧を構えると力の限り叫んだ。
「み、みみみ、みんなをははは、放せ!!」
 
(「出来るだけ慌てて、落ち着きなく言ってね」)
 
 ウィルの言葉通りに実行する、むしろ演技ではなく自然とそうなったと言うほうが正しいだろう。
 ライトの言葉に黒装束は一瞬顔を見合わせた。
 一番扉に近い所にいた兵士が、ライトに近づいてくる。

(「斧を構えてゆっくりと後ろに下がる。怯えた フリを忘れずにね。出来れば二人は連れ出してほしいんだけど、無理はしなくていいよ」)

 ライトは斧を構えたまま、一歩ずつ後ろに下がる。自慢じゃないが、 構えと足捌きだけは自信があるのだ。
 ライトを捕まえようとした黒装束が、仲間の一人に目線を送った。仲間の黒装束が頷き、ライトの捕獲に加わる。ライトはゆっくり廊下に出ると、いきなり後 ろを向いて逃げ出した。
 ライトを捕まえようとした二人は、慌てて追い掛けてくる。

 計算通りだ。

 ライトは二人が追い掛けてきたのを確認すると、いきなりその場に倒れこんだ。
 黒装束の視線が下を向く。
 その瞬間に、ウィルは扉の影から飛び出した。
 反応が遅れた黒装束の一人に、全身の力を込めて掌底をたたき込む。
 黒装束が吹き飛び、壁に当たって動かなくなった。
 
 もう一人の黒装束が慌てて剣を抜く。
 しかし、ウィルはそれを素早くかわすと、相手の背後に回り膝を思いっきり蹴りあげた。
 バランスを崩して後ろに倒れる相手の後頭部に、今度は膝をたたき込む。黒装束は一瞬体を強ばらせたが、力が抜けたように崩れ落ちた。

 それを見届ける様にして、今度は後のドアからルナが室内に突入する。
 ウィルに気をとられている黒装束の一人の脇から、思いっきり槍を突き刺した。
 鮮血が飛び、その光景を見た子供たちの悲鳴が教室を包む。

 作戦は大成功だ。
 残った敵は二人がウィル、一人がルナに向かい、ライトの事を気に掛けてはいない。
 ライトは後ろのドアから教室内に侵入すると、教員らしき二人の男女に駆け寄った。

「立てますか?みんなを連れて逃げてください」
「……君は?」
「いいから、早く!」
 ライトの言葉に、男ははっとしたように言う。
「マチルダ! 立てるかい?子供達を……」
「え、ええ。でも、ウィルとルナが……」
「あなた達が逃げないと、ウィルもルナも逃げれないんです!」
 ライトの言葉に、二人はびくりと肩を震わせた。
「わ、わかりました。みんな、私とバロウズ先生についてきてください!クロード、あなたもよ、手伝って頂戴。
さぁ早く!」
 女性教師は一番年上だと思われる男の子に、指示を与えている。
「マチルダ、私は最後に行く。先導は頼んだぞ」
「え、ええ、ジャッキー。……気をつけて」
「……君もな」
 女性教師は小さい子供達を抱きかかえるようにして走っていった。
 すぐ後ろを、子供達が続いていく。
 
「君はどうするんだ?」
 一人の女の子を抱え上げながら、男はライトに尋ねた。
「あなた達が無事逃げてから……」
 ライトが言い終わる前に、鈍い音が響いた。と同時に、足元に何かが突き刺さる。
「うわっ!」
 思わず飛びのいたライトは、その正体を知って愕然とした。
 
 見覚えのある物体、それは、ルナの槍だった。

 慌ててルナに目をやると、武器を失い、徐々に壁際に追い込まれている。
 迷っている時間はなかった
 ライトは床に刺さった槍を引き抜くと、そのまま黒装束に突進した。
 槍は使い慣れていない。
 迷った挙句、ライトは黒装束に全身の力を込めて体をぶつける。
 予想外の衝撃だったのだろう。黒装束はその場に転倒した。

「ルナ!これ!!」
 ライトは手を伸ばし、ルナに向かって槍を手渡す。
 ルナは手を伸ばしかけたが、次の瞬間大きな声で叫んだ。
 
「避けて!」
 えっ?
 思わず振り向いた先には、黒装束がこちらを見下ろしていた。
 
 何かが目の前を通り過ぎた、そう思った瞬間、体の力が抜けていた。
 続けて、鋭い音が耳の中をすり抜けていく。
 確か、一度聞いた音だ。
 そうだ、師範が居合いの練士って言う人を連れて来た時、抜刀見せてもらったんだっけ……。
 アキトなんか、居合いもやるとか言い出して、母さんに怒られてたっけな……。
 あれ、目の前が真っ暗になるって、こういう…………。
 
 ライトの意識は、そこで途絶えた。



《……何をそんなに急いでるんだい?》
 耳の奥から聞こえる声に、ブレイズは眉を顰めた。
「……悪いが、無駄話をしている暇はない」
 ただでさえ全力で走っているのだ。余計な労力は勘弁して欲しい。

《ひどいね、せっかく久々に話しをしてるってのにさ》
「どこがだ? 暇さえあればしゃしゃり出てくるくせに」
《うっ…………いいだろ? こっちは一人でどうしようもなく暇なんだからさ》
 声の主は拗ねた様に言った。
「……で、何の用だ?」
《うん。大変そうだから手伝ってあげようかと思って》
「いらん」
 ブレイズは一言で切り捨てた。

《なんでさ!?》
「あのな、今の俺にはそんな力は残ってねぇんだ。殺す気か、お前?」
 声の主は長いため息をつく。
《天下のブレイズ・ロックともあろうお方が、この状況に気付かないとはね……》
「状況?」
《うん、ボクも気まぐれで言ってるわけじゃないんだよ。ただ、懐かしい顔に会えるかと思って、ね……》
 口調は変わらないが、声の調子は落ちている。
「おい、まさか……懐かしいって……」
《うん、そのまさかだよ》
 一瞬、空気が止まった。
 ブレイズの表情からは、感情というものが抜け落ちてしまったかのようだった。
 長い長い沈黙の後、ブレイズは空を見上げ、確かに笑みを零した。
《……っ》
 声の主は思わず息を呑んだ。
 ブレイズは息をゆっくり吐いて、呼吸を整える。

「…………そうか、なるほど。確かに、感じるな……」
《……だろ? 必要だよね? ボクの力……》
「……ああ、そのようだな」
 ブレイズは刀を抜くと、空に向かって掲げた。
 
「……いにしえの約束、今こそ果たすべき時なり。……我が前に姿を現せ……風界王オリエンス」
 
 ブレイズの言葉と共に周囲から音が消えた。
 鳥も、虫も、川のせせらぎでさえ、そこには存在しなかった。
 やがて、小さな風の渦がブレイズの元へと集まってくる。
 一本、また一本、渦は重なり大きな渦を作り上げていく。
 小石を巻き上げ、水を巻き上げ、そこにあるもの全てを巻き上げるようにして、渦は巨大化していく。
 
 やがて、それは大きな竜巻となった。
 竜巻はうねる様にその身を震わすと、ブレイズに向かって覆いかぶさっていく。
 ブレイズが竜巻に飲み込まれると同時に、辺りに閃光が飛び散った。
 目を開けていられない程の光が辺りを包む。

 光が止むとブレイズの姿は消え、そこには何事もなかったように川が流れていた。

 
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2006年4月26日更新