第三話


王都


 人の欲望を間近に受けると、それだけで頭がクラクラする。
 人の欲の力は強く、僕の力では、それに押し潰されてしまうのかもしれない。

 だけど、それでもいい。

 僕には、僕より強く、そして僕より強い心を持った弟、妹がいるから。
 彼らさえ無事であるならば、僕の負けはない。

 だから、僕は――――
 

・ 


「……その為にも、徴兵が必要だと申しているのです」
 男の高らかな声が、部屋の中に響き渡った。

 頭髪に白髪が交じってはいるが、顔は精悍で周囲を睨み付け るような目をしている。室内の人々を見渡すようにして、男は言葉を続けた。
「国の治安を守るのも我々貴族の役目、然らば当然兵力は必要かと……」

「いや、 それはどうですかな?」
 今度は、別の声がそれに反論する。
 こちらの男は些か体系が太く、若干肥満気味に見える。口調は穏やかだが、目付きは油断なく辺りを見回して いた。

「マルドラド卿の仰る事はよく分かります。ですが、これからは春の収穫の時期。いくら治安の悪化で野盗の被害が増えているにしても、この時期に農地 から人手を奪うのは、はっきり言って賛成できませんな」
 肥満気味の男――タンドラ・リッチモンドは、ねめつける様な視線を精悍な顔の男――ファルカン・マルドラドに向ける。
 マルドラドはフン、と鼻を鳴らすと、大げさに驚いたように言葉を返した。
「……ならば、リッチモンド卿は治安維持は必要ないと?」
「そうは言っておりません。ただ、馬鹿みたい に兵力を増やすよりも、治安維持には経済の回復が最も効果的であると私は考えております」
「治安が乱れている中で、安心して耕作が行えるものか……私には そちらが疑問ですがな」
 室内に緊迫した空気が流れる。
 いつものように会議が成り立たなくなることを察知した少年は、そっと小さなため息を吐いた。
 それが聞 こえたのだろうか。少年の前に座る初老の男が後ろを振り向く。そうして軽く少年に頷くと、そのまま前に向き直った。

「……御両人、いい加減になされよ」

 初 老の男の言葉に、睨み合っていた二人はさっと視線を逸らした。
「しかし、サムエル卿。あなたとて、国内の治安の悪化が深刻だということはご存じのはずだ」
「いや、それ以上に経済危機を回避せねば、国が立ち行かなくなりますぞ」
 意見をぶつける対象が出来たとばかりに、二人の男は一斉に喋り出した。
 初老の男 ――サムエルは軽くため息を吐くと、燐とした声で二人に問い掛ける。
「マルドラド卿、リッチモンド卿、殿下の御前で見苦しいと思わないのですかな?」
 サム エルの言葉に、マルドラド、リッチモンドの両名は言葉を飲み込むようにして黙り込んだ。
「……サムエル卿」
 少年の言葉にサムエルは頷くと、恭しく少年に対して頭を下げる。
「……ユート殿下、どうぞ」
 サムエルに促されて、少年――カイゼル 王室王子、ユート・カイゼル・トルティーヤはゆっくりと椅子から立ち上がった。
 室内にいる人々をじっと見回し、穏やかな口調で言葉を発する。
「ここは会 議の場です。意見が食い違うのは当然です。ですが……」
 ここで、王子はゆっくりと言葉を切った。
「……お互いを無視した主張は、会議とは言いません……マル ドラド卿」
「は」
「徴兵という事は、当然ながらそれを維持する資金が必要、即ち増税に繋がります。疲弊した民にそれが可能だと?」
「いえ……」
 言い淀むマ ルドラドを尻目に、王子はリッチモンドに向き直る。
「リッチモンド卿」
「は、はい」
「経済の復興を待っている間に、野盗によって何人の民が命を落とすか、 それを考えた上での先程の主張なのですか?」
「いや、それは……」
 リッチモンドも答えは返せない。
 再び室内が騒つき始める中、今度は甲高い声が響き渡った。

「では、兄様っ。兄様はどちらも選ばずに、ただ黙って現状を見過ごせと言うのですか!?」

 立ち上がって叫んだのは、まだ年端もいかぬ少女だった。
「治安の乱れは深刻です。ならば、それを正さねば何の為の王家かわからぬではないですかっ!」
「ソフィア王女殿下、落ち着いてください!」
 護衛役の騎士が、慌てたように少女――ソフィア・カイゼル・トルティーヤを制する。それを見つめていたユートが口を開こうとする前に、別の少年の声がそ れを遮った。

「兄上っ、ソフィア同様、今の発言は私も些か疑問があります。経済の貧困はすなわち民の貧困、それが流民を生み出し野盗を誘発していることを知らぬ兄上で はないでしょう……先程のようなどっちつかずの発言は、国王の名代として控えるべきではないかと思います」
「アーサー様……」
 アーサー・カイゼル・トル ティーヤの発言に、議場がしんと静まり返る。二人の弟妹にじっと見つめられ、ユートは困ったような曖昧な笑みを浮かべた。
 誰もがユートの次の発言に注目し ている。
 もしかすると、その中には喉元に食い付こうとしている獣も紛れ込んでいるかもしれない。
 王子は一つ息を吐いて椅子に座りなおすと、穏やかな口調で話し始めた。
「……どっちつかずと言われればそうかもしれないけど……でも、僕にはどっちがいいかなんて決められないし」
「……は?」
 王子の発言に一瞬会場が呆然とした。
 空気を察したのか、苦笑しながら王子は言葉を続ける。

「勘違いしないで欲しいんだけど、考えが無いわけじゃないよ。僕としては警察権を各街の騎士団や自警団に委任して、その上で大規模な減税を行うべきだと思 う。具体的には通行税と営業税、関税とかかな。治安の維持もスムーズに出来るし、規制を緩くして商業の振興を図れば、経済の建て直しにもなると思う」
 一同は呆気に取られたように王子を見つめていた。
 何人かの元老議員は、我が意を得たかのように王子に頷いている。先程の応酬に参加できずにいた、派閥に属さぬ議員たちなのだろう。
 王子は穏やかな笑みを浮かべたまま、自分に向けられた視線を受けとめていた。

「な……ならば、初めからそう仰っていただければ……」
「そうですとも。我ら元老院の役目はあくまで提案に過ぎませぬ。殿下の意向が決定しているの をお教えいただければ、無駄な議論が省けましたのに……」
 リッチモンド、マルドラドの両名が、些か不満げに言葉を洩らした。
 ユートは二人を一瞥すると、穏 やかな口調で言葉を発する。
「でも僕としては、今日はみんなの意見を聞きたかったんだ。いくら国王名代と言えども……そして元老と言えども……たった一人の意見で国政が 決まっていいはずが無いからね」
 王子の発言に、自然とマルドラド、リッチモンドの両名に視線が集中する。
 元老院の役割は国政の提案、しかし、国王が元老院 の決定を拒否することは、現実的に見て不可能といえる。
 
 多くの領民を抱え、経済的、軍事的に強い力を持つ貴族を中心とした元老院は、王家の独裁を防ぐために初代国王・大天 使ラファエルが設置した組織だ。
 王家と貴族の釣り合いを取り、より多くの民の声を国政に反映させる。その設立の理念は時と共に忘れられ、今や貴族の綱引き の場と成り果ててしまている。
 リッチモンド派とマルドラド派の両派閥は常に対立し、その事がユートの悩みの種だった。

「僕は会議を……話し合いをしたいん だ。考えを押しつけるなら、こういう場は必要ないんだ。みんなと話し合って、意見を聞いて……そうすればずっと良い考えが浮かんでくるはずだからね……」
 
 王子の発言にリッチモンド、マルドラドの両名は、鋭い一瞥を返したのだった。



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 2007年2月23日更新