第二話


北都へ

 追いかけているものは、果てしなく遠い。
 
 遠くて、遠くて、手が届かないように見えるけど……。
 でも、今日からはその背中を見ることができる。

 背中を目指して追いかけて、追いかけて、気付いた時にはその隣に立っていたとしたら、そこにはどんな風景が広がっているんだろう。



 機内に着陸態勢に入る旨の放送が響いた。
 
 窓の外を見ると、未だに融けやらぬ雪が山並みを包んでいる。
 北の大地には僅かながら春の匂いが感じられるが、残 雪が消え去るにはもう少し時間が掛かるだろう。
 景色を眺めながら、青葉光一は軽く拳を握り締めた。

 空軍学校に入学して三ヶ月。志願の許可が出るや否や、光 一は北都基地への配属を志願した。
 たった三ヶ月の訓練生。
 通常、空軍においてここまで短時間で配属が認められるケースは少なかった。だが、光一が機内を見 渡すと、目に入るのは自分と同じか僅かに年上に思える少年少女ばかりだ。
 前の大戦から続く、慢性的な人員不足。
 徴兵された少年兵を退役させるために、新た な少年兵の志願を募る。
 馬鹿らしい話だが、今の光一にとっては好都合だった。

「……光一、何笑ってるの?」
 隣に座る荒川健が話し掛けてきた。
「やけにご機 嫌だよね。何かいいことでもあったの?」
 荒川の隣に座る須崎康も不思議そうに光一を見つめている。
「……ううん、別に」
 短く答えてから、光一は再び窓の外 を覗き込んだ。
 期待が胸を駆け巡ってゆく。
 あの時、空から降りてきた『彼ら』。
 自分も『彼ら』の一員になるのだと思うと、自然と笑みが零れてくる。

 眼下には、 懐かしい北都の街が広がっていた。



《……本部から中央R、本部から中央R。状況を報告せよ》
《……こちら中央R1、現在一階を検索中。繰り返す、現在……》
 
 無線に耳を傾けながら、石月裕一はボールペンを走らせた。
 報告書は依然として進まない。
 先程から襲い掛かってきている強烈な眠気と空腹に戦いなが らの作業は、肉体的にも精神的にも石月を追い詰めていた。
「……隊長、眠いですね」
「ああ、眠いな」
「……隊長、お腹減りましたね」
「ああ、減ったな」
 隣 の机で石月同様報告書を書いている副長の三村遼一が、ポツリポツリと呟く。
 それに律儀に答えながら、石月は時計を見て時刻を確認した。

「あれ、補充人員が 来るのって何時だっけ?」
 石月の動作を見ていたのだろうか、救難員の大石智大が明るく話し掛けてくる。
 目の前に積まれた書類は目に入っていないのか、それ とも気にしていないのか、その表情からは笑みさえ感じ取れた。
「たしか昼過ぎのはずだ。昨日司令から確認を取った……それより陽平はどうした?」
 石月の 言葉に、大石は軽く眉を潜める。
「あれ……あいつ、まだ帰ってこないの? 資料探しに行かせたんだけど……」
「……二十分経過……だね……」
 ファイルに書類 を整理しながら、救難員の大橋廉司も呟いた。
 出撃記録と出動記録を分け、日時、場所、種類などの項目ごとに書類を整理していく。一見、単純な作業の様に見えるが、経験と能力がなければ何日掛かって も終わらないだろう。
 詰め込むだけなら誰でも出来るが、後々に使えるように整理するのはそう簡単ではないのだ。

「……イッシー。俺、迎えに行くわ」
「え、なんで?」
 救難員の田島雄太の言葉に、大石が驚いて声を上げる。田島は軽くため息を吐くと、周囲を見回し言葉を 漏らした。
「……暗所恐怖症と閉所恐怖症」
「あっ……」
 田島の言葉に、石月は軽く頭を抱えた。

 迂闊だった。
 
 資料室は薄暗く狭い。
 電気を点けても、正直長時間は居たくない場所だ。
 自分が一番その事を理解していたのに、池田に無 理な仕事をしてしまった。
 資料探し程度なら問題にはならないだろうが、実戦ならば即、死に繋がるだろう。
「……俺も行く」
 石月が椅子から立ち上がった。
 それを見た田島が軽く頷き、三村がため息を吐く。

「……温泉旅行から、二ヵ月以上休みないですよね、僕たち……」
 
 三村の言葉に、部屋にいた全員がうなだれた。
 どんよりとした気まずい沈黙が部屋を包んでいる。
 その空気にいたたまれなくなったのか、大石が明るく言葉を放った。
「……まぁ、それも今日までだよ。補充が来れば少しは楽になるって!」
「……どうだろうね……」
 大橋がポツリと呟く。
 大橋が反対意見を出すことは珍しい。全員の視線が大橋に注目した。
「……あっ……ごめん……」
 思わず口走ったセリフだったのだろう。
 大橋は怯えたように周囲を見回すと、そのまま下を向いてしまった。

「……レン、黙っていてはわからんぞ。 そう思った理由はなんだ?」
 石月か軽く笑いながら言う。
「そうそう。レン君鋭いし、俺も聞きたい」
 大石もにっこり笑いながら大橋に発言を促した。
 異を唱え た相手である大石の言葉に安心したのだろう、大橋はポツリポツリと言葉を発する。
「……俺は……補充が……どうせ……ルーキーばかりだと……思う……」
 その言葉に皆が再びに黙り込んだ。可能性として、ないとは言い切れない。
 むしろ、大橋の言葉でそれが現実味を帯びてきたようにさえ感じる。

 北の果てのこ の基地に来たがる物好きはいない。
 
 ここにやって来るのは、左遷された者、ドロップアウトした者、それに新人……しかも将来が期待されない者ばかりだ。
 ただ でさえ員数合わせの少年兵、その中でも優秀なルーキーは王都である東都に引き抜かれ、ここに回ってくることは決してない。
 もし補充のほとんどがルーキーな らば、楽になるどころか仕事が倍に増えてしまうだろう。
 新人の素質にもよるが、使えるようになるまでには最低でも三ヶ月、一人前になるには一年以上掛かる のだ。
 それがもしパイロットならば、実戦がない現状では鍛えることさえ難しい。

「今の新人に、素質を期待するのは無理か……」
「所詮、員数合わせですからね」
 石月の言葉に三村が淡々と答えた。
 石月としては『使える』新人が一人でも多く補充されることを願うしかない。
 
 そこまで考えて、石月の脳裏にある少年の 姿が過った。
 去年の年末、雪山で出会った少年。
 名前は忘れたが、まるで雪崩が発生することを予期したかのように見えた。

「……あの子のような新人なら、きっと『使える』んだかな」
 ポツリと呟いた石月を、三村が不思議そうに見上げてくる。
 新人を選ぶことは出来ない。
 少なくとも、今の石月には、だが。

 手元にやってきた子供を、如何に『使える』ように育て上げるか。
 石月の頭はすぐにそれで一杯になっていった。

2006年10月15日 掲載