微かな目印

「寒いね」
 荒川が呟く。
「うん、寒い」
 須崎が淡々と答えた。

「……どうでもいいけど……救助はいつ来るんだよ……」
 吹雪は少し弱くなったが、ヘリの姿は見えない。
 光一の体力は限界だった。
 それだけではない。先程から運転手の様子がおかしい。
 うめき声が聞こえなくなっている。
 
 ……もし意識がなくなってきたなら、ヤバいんじゃないか。
 光一の不安は増した。
 
 その時だった。

「……あれ?    何か音がしない?」
 荒川が呟く。
「えっ?」
「しっ、静かに」
 須崎に言われて、光一は声を引っ込める。

 低音の唸るような音。
 映画でマシンガンの連射音に似ている。 
 
「これって……」
「ヘリだっ!」
 光一と荒川は揃って声を上げると、バスの外に飛びだした。
 遥か向こうの上空にヘリが一機見える。
 ゆっくりと辺りを旋回しているようだ。
「おーい!」
 荒川が手を振る。どうやらまだこちらを発見していないらしい。
「どうする?」
 荒川が辺りを見回して言う。すると、須崎がバスから飛び出してきた。
「これ!」
 手には発煙筒が握られている。
「さっすが康ちゃん。やるーっ」
 荒川は発煙筒を受け取ると、すばやくキャップを取って擦り煙を出す。
 そしてそれを大きく振った。




 
「こちら01。02チーム応答願います」
 隊長の声が機内に響く。
 三村はそっと窓の外に目を凝らした。探索が始まってからもう十分が経過している。

 時間が掛かっているな……。
 三村の中で焦燥感が募った。

《こちら02。01、どうぞ》
「設楽、どうだ? 状況は」
《ダメだ、まだ発見できない》
 無線の向こうで、パイロットの設楽優紀(したらゆうき)大尉の声が聞こえる。

 「お前等ずっと探してんだろ? いい加減見つけろよ」
 ここで、再び田島が無線に割り込んだ。
《やかましいわい、このボケっ! んなこと言う暇あったらさっさと探せ!》
 向こうでもコ・パイロット(副操縦士)の大森敦仁(おおもりあつひと)大尉が無線に割り込んでくる。

《石月隊長。冗談はさておき、そろそろ見つけねぇとやべぇな》
 02チームの隊長で、機上整備員兼任の桜井友裕(さくらいともひろ)大尉の声が聞こえた。
「ああ、桜井隊長。こちらも、そっちが未検索の所に絞って飛んでるんだが……視界がな」
 隊長が憎々しげに言う。
 吹雪は弱くなったとは言え、視界はまだ開けてはいない。

「京介君……と……達也君……は?」
 大橋が恐る恐ると言った感じで、02チームの二人の救難員の名前を口にする。
《すぐに降下出来るように待機してる。あいつら待ちくたびれて、文句ばっかでうるさいんだよなぁ……》
 パイロットの設楽大尉がうんざりしたように言った。

 02チームは五人態勢だ。
 当然、最高のメンバーが揃っている。
 今回のように、他のチームが応援に行くのは珍しかった。
 
「北都基地……あー、優。捜索機の方は?」
 隊長が北都基地の田中大尉に呼び掛ける。
《白木さんと海原君のF15が、もうすぐ現着する》
 田中大尉から、すぐに答えが返ってきた。
「おいおい、何でイーグルで来るんだよ? いくら金かかると思ってんだ、哨戒機はどうした?」
《どっかのバカが無理な飛び方して、エンジンぶっ壊しやがったからなぁー。整備班と大山さんが、ただじゃおかねぇ! ……ってマジで怒ってたよ》
 機内に沈黙が走る。犯人は一人しかいなかった。
「…………雄太、お前か?」
「ちょっ……なっ、何で俺なんだよっ!」
「確か……二日前、演習で乗ってましたよね。ユータさん」
 三村の言葉に田島の肩がびくっと震える。
「……優、生け贄一人差し出すから、許してくれって大山さんに伝えてくれ」
 隊長が低い声で言った。
「待て、マサル!大山さんには言うなっ!」
 田島が声を上げる。
「外野は気にしなくていいぞ、優」
 隊長は容赦ない。
 
《はいはーい、了解。それと一つ情報追加。例の記者の少年、白木さんに同行させたから》
「何? 後席に乗せたのか? 誰が許可したんだ?」
 隊長が声を上げる。
《司令だよ。アピールに丁度いいってさ》
「あのバカ……」
《おーい、聞こえるって、司令に》
「いい、聞かせておけ。とりあえずその件に関しては了解だ。後、大山さんによろしく」
《了解。それではユウタ、幸運を祈る》
「ま、マサル! 待てっ! おいっ!」
 無線からはノイズしか聞こえない。
「観念しろ。このままじゃ、俺達までとばっちりを受けかねん」
「お前、隊長のくせに……よくも仲間を売りやがったなー!!」
「……いずれ……バレてたと……思うよ……」

 再び、三村は辺りを見回す。
 大分高度を下げているため、視界がかなり開けてきた。
 吹雪の中でもヘリは安定して飛行している。毎度のことながら、石月大尉の高い操縦技術には、目を見張るものがある。
 一度でいいから、この人が慌てたところを見てみたい。
 三村はいつもそう思っていた。
 
 その時だった。
 遠くの方に、微かながら煙のようなものが見えた気がしたのは。
 三村はじっと目を凝らす。
 それに気付いたのだろう、隊長が話し掛けてきた。
「どうした?三村」
「い、いえ……」
 隊長には見えていない。それが三村を不安にさせた。
 もう、煙らしきものは見えなくなっている。

 ……あれは本当に煙だったのだろうか。
「いえ、何でもありません……」

 煙が見えたと思ったのは、道路からは離れた地点。しかも02が検索した辺りだ。
 要救助者がいる可能性は低い。
 だが……。

「……三村、何か見えたのか?」
「え、あっ……でも……」
「……三村」
 隊長が前を見据えたまま言う。

 「間違ってたらどうしようなどという、余計なことは考えるな。お前の目に何か見えたのなら、すぐに俺に言え。その事で仮に救助活動に何らかの支障が出た としても、責任を取るのはお前でなく、この俺だ。判断し、そして責任を取 る。そのために俺がいるのだからな」
「……はい」
 「お前の目に何か映ったなら、ほぼ間違いはない。お前なら間違うはずがない……というよりも、むしろお前が間違ったならしょうがない、という感じだ。 もっと自信を持て」
「……はい」
 
 分かりやすい話だ。この人が上に嫌われて、下に好かれるのもわかる気がする。
 前の大戦の英雄、石月裕一大尉。
 仮に彼が責任を取ると言い出しても、上が彼のことを処罰できるはずがない。

 進まない少年兵の退役。
 慢性的なパイロット不足。
 今では、救助や民間にまで応援にいく始末だ。

「……前方で煙が上がっているのが見えた気がしたんですが」
「どの辺りだ?」
「向こうの尾根の辺りなんです……」
 石月は前方をじっと凝視する。
「あそこって、02が検索してたよな……」
 田島が呟くように言った。
 隊長は黙って考え込んでいたが、やがて……
 
 「……こちら01、石月。02チーム聞こえるか?」
 02チームを呼び出した。

《こちら02。01チームどうぞ》
「設楽。黒崎の尾根だが……あそこの探索は終わっているか?」
《ああ。国道からは離れてはいるけど、一応探索した》
「……設楽。気を悪くしないで欲しいんだが……その時どのくらいまで高度を下げた?」
 無線の向こうが沈黙する。

《……あの吹雪だったからな。サーチライトが届く辺りまでは降下したけど、そこが限界だった》
 
 無理もないだろう。
 あの風力だ。一歩間違えば墜落は免れない。
《こちら北都基地、01、02、どうした?》
 田中大尉が報告を求めてきた。
「……実は、黒崎の尾根で煙が上がっているように見えた。ちょっと見てくれないか?」
《何だってっ!》
 設楽大尉が大声を上げる。
《確かか!?》
「見えただけだ。確かじゃない」
 沈黙が続く。
 
《……わかった、01。捜索機を行かせる》
 田中大尉が言った。
 「了解だ、白木さんと海原君に『よろしく頼む』と伝えてくれ」

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2005年 9月19日 掲載