第五話


決意

「……光一、何やってんの?」
 一心不乱に本を読み耽る光一に向かって、荒 川はおそるおそる尋ねた。
 病室のベッドのテーブルには、いくつもの本が並んでいる。

「勉強だよ」
 この答えに、荒川は思わず目を剥いた。
「勉強!? 光一が?  なんで?」
 光一は荒川の反応に不満そうに目を細めると、再び本に目を落とす。
 ここまでの集中力を光一が見せることは珍しかった。

 私立にでも行く気になった のだろうか。

 物珍しそうに光一を見ていた須崎は、ふと、光一のテーブルにある一つの雑誌に目を止めた。
 手に取って見ると、軍発行の官報だ。
 何度も読み返し ているのか、既にヨレヨレになっている。パラパラとページを捲っていた須崎は、一枚だけ折り込まれているページの存在に気が付いた。
 光一に気付かれないよ うに、そっとページを開く。
 そこには……。

「光一っ!」
 須崎は思わず声を上げた。
「何?」
 気怠そうに光一が答える。
「……まさか、軍に志願するつもりなの?」
「うそぉ!? 光一が?」
 声を上げる荒川の顔の正面に、須崎は開いたページを突き付けた。

 『2000年度冬期(一月入隊)大和国防軍新入隊員募集案内』

 ページタイトルを見た荒川の表情が見る見る変わっていく。
「何でそんなに驚いてるの? 二人とも受験はするんでしょ?」
「それはそうだけどさ……」
 荒川が困ったように須崎を見る。

 基本的に軍の試験を受ける子供は多い。言わば恒例行事だ。
 だが、まさかぐうたらの光一が受験するとは思いも寄らなかった。
 
「僕達は一応受けるだけ だよ。そりゃ、海軍か空軍に受かれば行くかもしれないけど……受かるはずもないしね」
 本当の受験前の肩慣らしと捉えている自分達とは違い、光一は本気で取り組ん でいるように見える。
 今迄の光一の姿を知っているだけに、どうにも違和感があってしょうがなかった。

 大和には徴兵制がある為、誰でも一度は軍に所属する必 要がある。
 といっても、精々一年か二年の範囲であり、幼年学校でも軍属と見なされる。
 よって、大戦が終わった今。平和なうちに子供を志願させよう、特に、 学歴にもなる幼年学校に行かせようとする家庭が急増していた。

「……僕は空軍に行くよ」
 光一の言葉に須崎と荒川は目を見張った。
 
 正直な話、陸軍は受験すれ ば誰でも入隊はできる。
 だがその分評判が悪く、黒い噂もチラホラと聞こえてくる。
 一方海軍、そして空軍はトップクラスの成績を残さねば入隊は出来ないが、 その分優秀で強力だと言われている。
 特に、空軍は大戦での活躍から英雄が何人も生まれ、子供たちの憧れを集めていた。

「……どうする?」
 荒川が須崎を見つ める。
 光一が本気なのは明らかだ。
 そして、本気になった光一の凄さを一番理解しているのは、間違いなく自分達二人だろう。
「……幼年学校なら、学歴にも、 軍属にも認められる。そう考えれば、悪くないんじゃない?」
「……ダフルスクールになるよ?」
「塾に行くと思えば、給料が出る分むしろ得かもね」
「……確 かに」
 荒川と須崎は顔を見合わせる。そうして、互いににっこりと笑った。





「……久しぶりだな」
「ええ、教官も元気……ではなさそうですね、入院中 ですし」
 少年の言葉に、男は笑い声をあげた。

「ふん、このぐらい怪我に入らん……それより……」
 男は少年を手招きする。そうして、低い声で囁いた。
「……お前達、何のつもりなんだ? わざわざ目立つような真似をして……もし上に伝わったら……」
「大丈夫ですよ、教官」
 男の言葉に少年は乾いた笑みを見せる。そのまま、囁くように言葉を繋げた。

「ここまでの地位を得た俺たちに、上は迂闊に手は出せないんですよ。何せ、理由がない。俺たちは『存在しない』ことになっている。すなわち、あの事件も 『起こらなかった』……違いますか?」

 少年の言葉に男の顔が強ばる。
 男をじっと見つめていた少年は、ゆっくりと顔を緩めた。
「……教官、見て頂きたいものがあります。歩けますか?」
「……あ、ああ」
 男の言葉を待たずに、少年は背を向けて歩きだしていた。





「ここです」

  『特別病棟』

 半透明の扉にはそう書かれていた。
 一般病棟からは離れ、隔離された場所。男はごくりと喉を鳴らした。
 
「思い出しますね、昔を……」
 少年は男に 笑みを向ける。耐えきれなくなったのか、男は絞りだすように言った。
「……お前は……いや、お前達は……私を恨んでいるか?」
 予想外の言葉だったのか、少年は一瞬目を見開いた。
「そうですね……」
 扉を開けながら、ポツリと呟く。
 視線が孤空を彷徨い、何かを探るように忙しなく動き回る。

「……確かに恨んでもいますが……あなたには感謝もしています」
「感謝?」
 少年について歩きながら、男は不思議そうに眉をひそめた。
「……あなたは他の教官と違って、すぐに暴力を振るった。……だけど、あなたが暴力を振るえば、それでお仕舞いという空気が確かにあった。他の教官から は、俺たちはもっとひどい目に遭っていましたから……その点では感謝しています」
 
 男は黙ったまま、じっと少年を見つめていた。
 人は簡単には変わらないというが、果たしてそうだろうか。
 自分の知る少年とこの少年が同一人物だとは、どうにも思えなかった。

「……着きました、ここです」
 少年は一つの病室の前で立ち止まる。
 名札に名前は書かれていないが、中からは人の気配 が感じられた。
 少年がゆっくりとドアを開ける。
 続いて室内に入った男は、ベッドの上で体を起こしている少年に目を止めた。

「……お前は……」

 ベッドの少年は何の反 応も示さない。それどころか、二人が入ってきた事にさえ気付いていないようだ。
「……もう随分になりますが、回復の兆候はありません」
 少年が淡々と続ける。
「……俺たち、贅沢は出来ないですけど、ある程度の金はありますから、ここで治療してもらってます。空軍病院では、こいつも落ち着かないでしょうか ら……」
 不自然なくらい落ち着いた口調で少年は話す。
 あきらめているのか、それとも……。

 声が出ない男に向かって、少年は乾いた声を向けた。
「……それはそうと教官。確か、事故を起こした 原因はワゴン車が横転していてそれを避けたため……そう仰ってましたよね?」
「……あ、ああ」
「なら、これから先、気を付けてください。俺たちが行った時 には、ワゴン車なんてありませんでした。おまけに、不可解な雪崩まで起きている……」
 
 少年はベッドの脇に立つと、ベッドの少年の頭を優しく撫でた。
 ベッドの少年は僅かに反 応を見せたが、その視線は動かない。

「……もし、邪魔になるのであれば……」
 少年の呟きが、病室内で小さく響いた。


  戻 る

2006年7月9日 掲載