仲間

 一瞬、息が止まった。
 急な酸欠状態になり、手足の感覚がなくなる。
 田島は目を見開くと、無理矢理首を 動かした。

 酸欠状態も手足の自由が利かないのも慣れている。
 こういう状態での対処法はない、が、唯一対応できるとすればそれは慣れと経験だった。
 目を凝ら すと、田島の予想どおり被災者の少年は腕にしがみついている。後は、ウインチが無事であることを願うだけだ。
 機体の方は恐らく問題ないはずだ。石月と三村 のペアには墜落はありえない、田島には自信があった。
 
 ぐいっと体が引っ張られる感覚がする。
 真横から風を感じた。
 ローターの回る爆音が体に振動として伝わってくる。

 抜けた!

 顔を上に向けると、頭上に大きな機体が迫ってきていた。
「おいっ、もうすぐだ! 辛抱しろよ!!」
 腕の中の少年に声をかける。
 よく聞こえなかったのだろう、少年が首を動かし、田島の方を見ようとした。
 だが、それがいけなかった。
 
「おわっ、ヤバッ……」
 バランスが崩れ、少年がずり落ちそうになる。
 高度を下げているとはいえこの高さだ、落ちたらタダでは済まない。田島は腕を擦り抜けていく少年の指先を何とか掴んだ。
 右腕に、もの凄い衝撃が走る。
 肩の筋が悲鳴を上げているのがわかった。

《……雄太、踏張れ!》
「……っ、そう言われてもなぁ……ちくしょう」
《ユータさん、放したらダメですよ》
「んなこたぁわかってる!」
《……雄太くん……頑張って……》
「……あい、がんばるよぉ!」

 肩がミシミシと音を立 てている気がする。
 少年は何か叫んでいるようだが、ローター音のせいでそれを聞き取ることは出来なかった。
 田島は少年に笑ってみせると視線を上に向ける。 そこにはすぐ傍まで迫っている機体、そして大橋が体を乗り出しているのが見えた。
 大橋は一杯に体を伸ばし、田島の右手にぶら下がる少年を掴み上げる。

 よし、間に合った。
 
 少年に一瞬遅れて、田島は機内に転がり込んだ。
「雄太、無事か!?」
 操縦席から石月が声を上げる。
「おう、なんとかな」
「三村」
「はい」
  石月の言葉に三村が田島に駆け寄った。
「失礼しますよ」
 三村は田島の上を脱がせると額に眉を寄せる。
「……もしかすると亜脱臼かもしれません」
「マジか!?」
「はい、とりあえず入れちゃいますから我慢してください」
「え、とりあえずって……おまっ……素人がそんな……」
「大丈夫です、僕は衛生兵の経験がありますから…………五年前ですけど」
「最 後に不安になる事つけくわえん……ギャア―――――」
 機内に田島の悲鳴が響き渡った。
「うるせぇ! ぎゃーすか騒ぐな!! そいつはいいとして……レン! 最後 の子は?」
「……うん……大丈夫………脈も問題なし……体温は少し低いから……毛布渡しとく……後は……?」
「雄太の面倒も見てやってくれ……あ、一番 後回しでいいからな」
「……うん……了解……」
 あまりにもひどい扱いだ、田島は抗議しようとしたが、肩の痛みで上手く声が出ない。
 機内に入ってホッとした とたんに、急激な痛みが襲ってきたのだ。

「……よかったですね、無事で」
 三村がポツリと呟いた。無表情のまま田島をじっと見つめる。
「……あまり嬉しそう に見えないんだけどな」
 田島の言葉に三村がピタリと手を止めた。
「……そう、見えますか……?」
「……いや、悪い」
 三村はじっと田島を見つめる。
「……僕 は隊長ほど表情には出ませんが、ユータさんの顔を見てホッとしましたよ」
「……うん」
「ホントに、よかったです」
「うん……悪かったな、変な事言って」
 三村は黙って頷くと操縦席に戻ろうとする。

 うん?
 隊長ほど?

「待て、ミム!」
「なんですか?」
 三村はクルリと振り向いた。
「隊長ほどって、一体……」
「ああ、かなり動揺してましたよ、隊長。本気で慌ててましたからね……ありがとうございました」
「いや、ありがとうって……」
 なぜ三村が礼を言うのか、田島には理解できない。
「……一度見てみたいと思ってたんです、慌てている隊長……真っ先にユータさんの名前呼んでたでしょう? 今頃ホッとしてますよ」
 
 三村は淡々と話すと操縦席に戻っていった。



 目の前の光景が信じられなかった。
 準備、タイミング、爆発の大きさ、全てが完璧だったはずだ。
 だが、ヘリは宙に浮いている。

 少年はそれを認めると、大きく息を吐きだした。
 認めたくはなかったが、心の中に確かに 安堵した自分がいる。
 悲しくて悔しくて、でも心の底ではよかったと思っている。

 最悪だね……僕は……。

 その事が少年をひどく傷つけると同時に、諦めにも似 た感情を生み出していた。

「撤収だ」
 仲間が短く言った。
 その声は普段基地で聞き慣れている口調と一緒で、思わず笑みが零れる。
 雲が割れて、太陽が顔を出している。
 風と雪もその勢いを失ってき たようだ。
 仲間がヘルメットとサングラスを取る、深い黒髪がおだやかな風に棚引いた。

「久々だね、君が笑うのは……」
 振り向くともう一人の仲間がこちらを 見つめている。
 こちらもヘルメットを取って、色素の薄い髪が太陽に透けて見える。
「……そう?……いや……そうですか?」
「どうしたの、急に」
「あなた方 と同志なのも、これで最後です。明日からは……また上司と部下、先輩と後輩ですから……」
「戻れると思うの?」
 色素の薄い髪の仲間は、じっと少年を見つめる。

「……戻ります」
「そう……しょうがないね」
 仲間は懐に手を入れると、黒光りする銃を取り出した。
 小型の物だか、仲間にかかれば自分の命など奪うのは容易いだろう。
 少年はゆっくりと目を閉じた。

「……本当なら始末しなくちゃならないんだけど、止めておくよ」
 仲間は銃を構えると、素早く引き金を引いた。
 破裂音と共に右手に吹き飛ばされたような衝撃が走る。
 血みどろの右手を想像して震えながら、少年はこわごわと目を開けた。

 予想に反して、右手は傷を負っていなかった。

 強く痺れて感覚はなくなっているが、血は一滴も流れていない。
 後ろを振り向くと、無残に破壊された携帯が雪の中に埋もれていた。
 
「これ以上、オレ達に関わるんじゃない」

 黒髪の仲間が言った。
 少年が頷くと、ホッとしたようにため息を吐く。
 自分はもう解放されてしまったらしい。
 だが、この二人はどうするのだろう。

「……さぁて、帰ろうか」
  色素の薄い髪の仲間が少年の肩を叩いて言った。



 ヘリのローター音が、心地よく耳に響いてくる。
 
 両隣に腰を下ろしている健と康がこちらに寄りかかるように眠っていて、そのおかげで、僕の方は眠りたいのに眠ることが出来なかった。

 操縦席では、パイロットと三村隊員が、何やら二人で談笑している。
 そんな二人に向かって、健のことを助けてくれた田島隊員が、肩を押さえながら大きな声で言った。

『おい、石月隊長殿。温泉はケガに良く効くところにしろよ! 俺にケガされたら心配なんだろ!?』

 石月隊長と呼ばれたパイロットは振り向かず、ただ、『フン』と鼻を鳴らしただけだった。
 それを見た三村隊員と機体の後ろで応急手当に回ってした大橋隊員が軽く吹き出したあと、それを誤魔化すようにして下を向きながら小刻みに肩を震わせてい る。
 
 石月隊長はそれもまた無視すると、無線に手を掛けて低い声で言葉を発した。

『北都市消防本部、こちら大和空軍北都救難隊・ホワイトウイング1……任務完了、これより搬送先の病院に向かう』

 
 ぼくは特にやりたいこともなかった。
 ただ毎日を、なんとなく生きていた。

 でも、今日初めて、やりたいことができた。



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2006年5月30日 掲載