覚醒

 
《イッシー、最後の一人の収容を始める》
「了解だ、慎重にな」
 パイロットの落ち着き払った声が聞こえた。

「須崎、大丈夫?」
「……うん、健ちゃんはどうなったの?」
「今、吊り上げる準備してるみたい」
「そう……」
 明らかに大丈夫ではなさそうだ。先程より顔色が悪くなっている。
「大丈夫ですか?」
 小柄な隊員がこちらを覗き込んできた。
 この隊員、さっきから面倒見はいいのだが、如何せん愛想がない。顔が無表情で、能面の様とまでは言わないが、それに近いものがある。
「……はい、大丈夫です」
「そうですか……辛かったら言ってくださいよ、何か対応をとります」
「おーい三村、そろそろ席に戻れ」
 パイロットが小柄な隊員に声をかけた。三村というのが彼の名前らしい。
「はい、隊長」
 三村隊員は素直に頷くと、操縦席に戻っていった。
 
 パイロットと無線の声が、こちらまで聞こえてくる。
「優、北都市立病院でいいんだな?」
《……ああ、……今の…………もんだ………くれ》
「……ん? 優、よく聞こえない。もう一度頼む」
《……石…隊長………んの故障か……声が……ない……》
「ちっ、混信か……?」
「そんなはずは……これは軍用無線ですよ。仮にチャンネルが合っていたとしても、暗号化されてますから問題ないはずです」
 操縦席の方が騒がしくなってきた。パイロット二人が慌ただしくスイッチを操作している。

「だが、実際問題混信しているんだ…………いや、混信、か……?」
「……えっ……これは……レンジさん、ちょっと来てくれますか?」
「……なに……?」
 ヘリに戻ってきていた大橋隊員も操縦席に向かっていく。
「なんでしょうか、この電子音……」
 三村隊員が無線のボリュームを上げた。
 耳障りな電子音が、機内にこだまする。
 音の長さはバラバラで、まるでリズムをとっているかのようだ。

 リズム……?
 光一の体に再び悪寒が走り抜けた。
 何かに導かれる様にして、光一は窓に駆け寄った。
 
「…光一……?」
 須崎が不信そうに声をかける。
 ほぼ真横に国道が見えるほど、ヘリは低い高度を飛んでいる。
 国道は山を削り、切り立った崖に沿って造られている。山は上にいくにつれて次第になだらかな傾斜を帯び、他の山々と合流していく。合流した山々は次第に 高度と傾斜を増していき、北都市の象徴、北都山となる。

 北都山……雪山……山……?

 どことなく、山が変な感じだ。
 少なくとも、いつもの北都山でない。
 どこかが変だ、どこかが……。

「光一……どうしたの?」
 気が付くと須崎がすぐ後ろに立っていた。震える足でよくここまで歩いてきたな、そう素直を感心する。
「山が、おかしいんだ……」
「……山……どこが?」
 操縦席にいる隊員達が、こちらを振り返ったのが見えた。
「わかんないけどっ、でもっ、どこかおかしいんだよ……」
 機内はシンと静まり返った。相変わらず、電子音が響いている。

「……山……?」
 三村隊員が呟いた。
 
「……離れろ……?」
 パイロットも呟く。

「……これって……モールス信号……?」
 
 大橋隊員の言葉に、隊員達の空気が変わった。
 パイロットは口元のマイクに怒鳴りつけるようにして叫ぶ。
「雄太!準備は出来てるか!?」
《い、いや、まだだ。被災者を固定できてない》
「ちっ、しょうがねぇ。被災者を抱え上げろ。引き上げるぞ!」
《な、何言ってんだ! んな危険なこと出来るわけ……》
「隊長命令だ! 今すぐ被災者を抱え上げろ! すぐにだ!!」
 大橋隊員がウインチを操作する。
「……雄太くん……上げるよ……!」
《な、なんだってんだよ! くそっ、俺に抱きつけ! 早く!!》
 ワイヤーを巻き取る音が、さっきより大きく聞こえる。
 ヘリのローター音が段々と早くなった。

「出力最大、回転数上げます」
「高度を上げてちゃ間に合わん。横に動くぞ」
「了解」
 パイロットが大橋隊員の方を振り返った。
「レン、ワイヤーは!?」
「……まだ……後、少し……!」
「ちっ、間に合わんか……仕方ない、動くぞ」
「はい」
 パイロットは無線に向かって声を上げる。
「雄太。悪いっ、動くぞ!」
《おい、無茶言うなっ! 大体何なんだよっ! これは!》

「雪崩だ! このままじゃ巻き込まれる!!」

《はぁっ? な、なだれ!?》
 国道に雪の固まりが落ちてきた。
 それと同時に、崖の上に設置してある雪崩防止用の防護柵が落下する。その盛大な音に驚く暇もなく、崖から白い霧が舞い降り空を覆った。
 霧はヘリを呑み込むようにこちらに迫ってくる。
 霧のように見えても、実際は勢いのついた雪の固まりである。呑み込まれれば、墜落は免れなかった。

「全員、何かに掴まれ!」
 パイロットが叫んだ。
 物凄い勢いで、ヘリは機体を傾ける。立っていられなくなり、光一と須崎はヘリの中を転がった。
 悲鳴と叫び声が耳に響いてくる。

「レン、ワイヤーは!?」
「……まだ……保ってる……でも……危ない……!」
「くっ……二人は? 無事か!?」
 《くそっ、早く巻き上げろよっ! 早く!!》
「……あっ」
 大橋隊員が声を上げた。
 ヘリが急に旋回したせいで、吊り上げられていた二人は一気に跳ね上がった。
 そしてそこに、崖からの雪が降り注いでいく。

《おいおい、嘘だろっ! ……おわっ……やば…………》
 雪に埋もれ、二人の姿は見えなくなってしまった。
 
「……雄太……くん……」
「ユウタさんっ!」
「おい、雄太!」

《…………》
 無線からはノイズしか聞こえない。光一は体勢を整えると、慌てて窓に駆け寄った。
 二人の姿を見ることは出来ない。

 神様……。
 光一は生まれて初めて、神に祈りを捧げた。


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2006年2月8日 掲載