第三話


微笑みの少年王


「隊長!お疲れさ……」
 勢い良くドアを開けたまま、翼はその場で固まった。

 室内は薄暗い。
 部屋の窓はブラインドが降ろされ、太陽の光を遮っている。室内に置かれた四つのソファには、毛布に包まった隊長達が静かに寝息をたてていた。
 だが、そんなことはもう見慣れてしまっている。暇さえあれば、この人達は常に眠っているのだ。
 翼が固まった原因は他にあった。
「あっ、お疲れさまです…………貴方ですね? 新入隊の青葉少尉は……」
 見知らぬ少年が隊長の椅子に座っている。
 机のスタンドを点けて、何やら書き物をしていたようだ。
 暗闇でもはっきり映える白装束に、胸には金糸で大和の象徴である燕の紋章を縫い付けてある。長く黒い髪を綺麗に結いあげ、一見すると少女と見間違えてし まいそうな顔立ちだ。
 そうだ、この人物を翼は知っている。
 兄が残したアルバムの中で、この人物は今と同じ穏やかな笑みを浮かべていた。

「……雄燕……陛下」

「はい、お会いするのは初めてですね、青葉少尉……いや、青葉翼くん。僕が国王の雄燕です」
 国王・雄燕は立ち上がって翼に近づくと、さっと右手を差し出してくる。そのままその右手を握ろうとして、翼はハッと正気に返った。
 慌てて雄燕から一歩離れると、背筋を伸ばして敬礼する。
「へ、陛下、ご無事で何よりであります! 何者かが暗殺を謀ったと聞き、基地職員一同心配して…………あっ、そういえば、陛下はなぜこちらに? 王都へ戻られたのでは……」
「ああ、王都へ向かったのは僕の影武者です。僕自身はセントレアから直接ここにやってきました。裕一の後席に乗せてもらったんです。快適でしたよ」
「は、はぁ……それは…………あっ!」
 ここで翼は、自分がまだ雄燕に名乗っていないことに気がついた。国王の方から名前を呼ばれたので、すっかり失念していたのだ。
 王に名乗らせて自分が名乗らないなど、不敬にも程がある。
「た、大変失礼いたしましたっ! 自分は青葉翼少尉であります! 陛下に拝謁を賜り至極……」
「ストップ!」
 雄燕は左手で素早く翼の口を塞いだ。
 右手の人差し指を口元に 持っていき、「しーっ」と低い声を発する。そうして翼を手前に引き寄せると、ゆっくりとした動作でドアを閉めた。
「……みんなが起きてしまいます。宥め梳 かしてようやく眠ってもらったんです。二時間で起こせと言われましたが……今日一日は休んでいてもらいましょう」
雄燕は隊長達の方に目を遣りながら、穏や かな笑みを浮かべた。
 挨拶を中断された翼は何を話して良いかわからなくなり、中途半端に敬礼をしたまま固まっている。口に手を当てられているので息が苦し いのだが、果たしてそれを指摘してもいいのだろうか。
 息苦しそうに鼻で息をする翼を見た雄燕は、慌てたようにその手を離した。
「あっ、すみません、翼くん。苦しかったですよね?」
「い、いえ。だ、大丈夫であります」
 翼は背筋を伸ばすと、直立不動で答えを返す。
 
 その様子を見た雄燕が何らかの言葉を発しようと口を開き掛けた瞬間、待機室のドアが勢い良く開かれた。

 「ツバサっ、会議中に何やって……」
 ドアを開けた拓人がその場で固まる。
「どうしたの、拓人く……」
 室内を覗き込んできた綾人も、雄燕を見て凍り付いた。
 しかし一人、一歩離れた場所に立つ倉木だけが、唯一平静を保っている様に見える。
 倉木は雄燕に近づくと敬礼し、いつもの無愛想からは想像出来ないような口調で喋り始めた。
「お疲れさまです、雄燕陛下。倉木少尉であります。父から連絡を受け、陛下の到着をお待ちしていました」
「はい、ご苦労さまでした。……お久しぶりですね、陸くん」
 雄燕は倉木ににっこりと笑い掛けた。
 倉木は照れたように笑みを返すと、親しみを込めて言葉を返す。
「はい、陛下もお元気そうで何よりです」

 二人の会話を見ていた翼は、一人首を傾げていた。
 
 雄燕と倉木の話し振りを見る限り、二人は知り合いらしい。
 だが、国王の知り合いなど、余程の高官や富豪でなければなれはしないだろう……もっとも、翼の 家は一般家庭だし、兄はただの志願兵ながら国王と知り合いだったが……。
 では、先ほどから話題に出ている倉木の父親とは一体何者なのだろう。
 そういった翼の疑問が、思わず口から飛び出した。
「……お二人はお知り合いなんですか」
「ええ。仕事柄、倉木の家とは親交が深いのですよ」
「倉木君の家って……そんなに名家なんですか?」
 翼の発言に、周囲の空気が一瞬凍り付いた。
 雄燕は曖昧な笑みを浮かべたまま言葉を繋げないでいる。拓人は思わず「げっ」と呟き、綾人はコケそうになるのを寸前で堪えていた。
 当の倉木といえばまじまじと翼を見つめ、驚きを隠しきれないようだ。
 
 長い長い沈黙の後、雄燕は曖昧な笑みを浮かべたまま言った。

「……翼くん。お聞きしますが、空軍長官の名前はご存じですか?」
「はい、確か倉木大将…………って、えっ?」
「……オレの父親だよ」
 倉木がポツリと呟く。
 翼が倉木の方 へ目をやると、倉木も真っすぐに翼を見返してきた。倉木が自分のことを見つめてきたのはこれが初めてだろう。
 翼は改めて、倉木の顔をまじまじと見つめた。
「やっぱ美形だよね……」
「……はぁ?」
 倉木が怪訝そうに眉を潜める。
 
 ヤバい、また怒らせたかな……。
 
 翼は慌てたように言葉を繋げた。
「い、いやほら、倉 木くんって凄く格好いいから、きっとモテただろうなって……」
「ツバサっ、何言ってるんだよ!ごめんね、倉木くん」
 拓人が慌てたように翼の頭を叩いた。綾 人がこれ以上の迷言を防ぐかのように素早く口を塞ぐ。
 倉木はじっと翼の方を見ていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……もしかして、オレの顔をジロジ ロ見てたのは……」
「いやぁ、外国人みたいだなぁと思って、金髪だし……」
 綾人の手を振り払って、翼は答えた。
 気まずい沈黙が周囲を包む。
 あいまいな笑みを浮かべながら、翼は倉木の言葉を待った。
 倉木は黙ったま まだったが、やがてポツリと口を開いた。

「……母さんが、オックスの人だから」
 
 その顔には軽い笑みが浮かんでいる。
 少なくとも、あまり嫌がっているように は見えなかった。
「……陸くんのお母上は非常に美しい方なんですよ。妹さんも可愛らしいですしね……今は大変複雑な立場に立たれていて、気苦労も多いよう ですが……」
 倉木の言葉を受け、雄燕が軽く俯きながら言う。
 
 オックスバルトは永年の盟友で友好国であったが、今ではただの敵国だ。
 しかし、大和国内には多数のオックス系の住 民がいる。
 大和は多民族国家であり、オックス系住民を数字にすれば、その数は国民全体の約十パーセント。
 ハイエンス系等の大和以外の民族をすべて含めれ ば、その数は国民の三十パーセントにも膨れ上がる。
 前の大戦の時に巻き起こった、ハイエンス系住民への迫害の影響、それは根強く今だに尾を引いている。
 しかし、国王雄 燕の呼び掛けの結果、少しずつだがそれも薄れてきた。
 そのおかげか、今回の大戦においてもオックス系住民における迫害や暴動といった問題は、今のところ表面化しては いない。だがそれでも、彼らへの風当たりが強くなっているのもまた事実だ。

 自身の力不足を嘆くように言う雄燕に、倉木は落ち着いた声で言った。
「……母も妹も、それから父もオレも……陛下に感謝しています。陛下のおかげで助かっていると」
「いいえ、大和に住まう者同士が対立してしまうのは、国を預かる王家の罪。……皆、同じ大和の民 なのですから、共に暮らせぬはずがないのです」
 倉木の言葉に、雄燕は強い口調で言葉を返した。
 表情は険しさを含み、国を預かる者としての誇りが窺える。
 その国王の表情に、一同は言葉も忘 れ黙り込んだ。

「……く、倉木くんは妹いるんだね。可愛い?」
 
 空気を変えるように、翼は言った。
 倉木の母について聞くのはまずいと思ったし、長官はお元気 ですかと聞くのも、面識のない自分が言うのはどうかと思われる。結局、一番当たり障りのないものを選んだはずだったのだが、数秒後、翼はこの質問を投げ掛 けたことを後悔するのだった。

「ああ。……ちょっと生意気だけど、な。……青葉、お前も兄弟いるのか?」
 
 微かに笑みを浮かべながら、倉木は言葉を発した。
 自分が 倉木の妹の事を聞けば、問い返されるだろうと予想される言葉。
 倉木には何の罪もない。
 だが、周りの空気が一変したことを翼は感じ取っていた。
 倉木も それがわかったのだろう、戸惑う様にして周囲を見回している。
 努めて明るく、翼は言葉を発した。

「うん、いるよ」

 明るく、笑みを絶やさぬ様に、翼は言葉を 続ける。

「弟は海軍で潜水艦に乗ってる。兄貴はここで……北都基地で、102隊長をしてた」
「……えっ?」
 倉木の顔色が変わった。

「行方不明なんだ。……半年前のピースメーカー攻撃で落とされてね」

 自分はきちんと笑えているだろうか。
 尚も言葉を続けようとする翼を、後ろから拓人が抱き締めた。

「……タクト?」
「翼君……」
 綾人が 目の前に立ち、黙って首を横に振っている。胸に回された拓人の腕に力が籠もった。その腕の上に、ポツリと水滴が落ちる。
 
 あれ……俺、泣いてる……?
 
 自分の意 志とは無関係に流れてくる涙に、翼は戸惑った。

 「……場所を変えましょう、落ち着けるところに」
 雄燕が周りを見渡しながら言う。
 
 その言葉に、放心状態の翼 を除く全員が頷いた。

 
 第三話 2 完

2006年10月9日 掲載