第三話
1 教える者、送り出す者 空の青を、突き抜けてみたいと思ったことがある。 兄に話したら、パイロット向きだと笑われた。 でもその後、兄は怖い顔でこう付け加えたのである。 『でもツバサ、軍には入んなよ?』 ごめん兄さん。 僕、もう入っちゃったよ。 ・
《こちらリバー!ブルーリーフ、後方から同時攻撃を仕掛ける機が二機!急いで振り切れっ!!》 「は……はいっ!」 物凄いG(重力)が体を襲う。宙が引っ繰り返り、胃が裏返った。 《ツバサっ、遅いよっ!》 機内の警報音が大きくなる。 モニターが翼に対して、自機がロックオンされた事を示していた。 《……5……4……3……》 カウントダウンが始まる。翼は機体を傾けると、一気に地上に向かって降下した。 急降下にも関わらず、後方警戒レーダーからは相変わらず電子音が響いている。 《……2……1……フォックス2!》 ミサイル発射の掛け声がなされた。 終わった……。 翼はエンジンの出力を弱めると水平飛行に移る。 《よし、訓練終了!》 編隊長の声が無線から響いた。 ・
「……青葉少尉、まだ飛行にムラがある。特に後方警戒については訓練が必要だ……だが、敵機五機撃墜は見事だった。よくやったな」 「はい!ありがとうございます」 編隊長の荒川中尉の言葉に、翼は大きな声で答えた。 内心は横でニヤけた顔をしている拓人の足を思いっきり踏み付けてやりたいが、教官達の目がある為そうはいかない。翼に対する撃墜認定をもらった拓人は、 終始ご機嫌の様子だった。 訓練後のブリーティングルーム。 翼を初め、拓人、倉木、それから田中教官といった面々は、訓練後の隊長会に参加していた。 翼は本来101隊所属なのだが、隊長をはじめ隊員全員が出張となっている為、102隊と106隊の合同訓練に呼ばれている。 荒川中尉は横を向くと、106隊長である白木少佐に頭を下げた。 「では、白木隊長、ご苦労さまでした」 「こちらこそ、荒川隊長。訓練統括でお疲れでしょう?報告は私が上げますので、ごゆっくりお休みください」 「大丈夫ですよ、少佐。これくらいなら慣れてますから」 答えたのは102副長の須崎中尉だ。飛行計画書を団扇の様にして自らを扇いでいる。 「ええ、白木隊長のお手を煩わせる訳にはいきません」 荒川中尉も畏まって言う。 その様子を見ていた田中教官が、耐えきれなくなったのか吹き出した。 それに吊られて、106隊副長の海原大尉も目元を押さえ、笑いを堪えているようだ。 「……健、その喋り方、いい加減止めたらどうだ?」 白木少佐がにやけながら言った。 その言葉に、荒川中尉は顔を膨らませて反論する。 「しょーがないでしょー!?隊長らしく喋れって言われてるんだからさー」 「誰に?」 「司令っ!」 荒川中尉は完全に不機嫌になったようだ。 ムスっと黙り込み、目をあらぬ方向へ向けている。 「……あー、別に気にしなくても良いんじゃね?あの人は対面気にしてるけど、俺たちは俺たちだしさ。今更カッコつけたってどうしようもないだろ?」 田中大尉が取り成すように言う。 ニコニコとした笑いを見せる、元上官で、現同僚の先輩隊員の発言に、荒川中尉の心も少しはほぐれたようだ。 「……優さんがそう言うなら気にしないけど……」 「そうそう、気にすんなー。疲れるだろ?あの人いちいち細かいし」 「うん、まぁ……」 荒川中尉は隊長格の中で最年少だ。 前任の102隊長、つまり、翼の兄の後を引き継いだ形で隊長に任命されている。兄も隊長になったばかりの頃は、中々苦労していたようだった。 「……あーもういいや。慣れない喋り方で肩凝ったし、今日はおしまいっ!みんなもお疲れっ!……白木さん、俊也さん、じゃあまた後で……」 荒川中尉はさっさと話を打ち切った。 白木少佐、海原大尉の両名に挨拶をすると、早々に部屋を立ち去る。 「……あっ、白木さん。ホントに報告はこちらでやりますから。では……」 須崎中尉も後に続く。 二人が出ていくと、部屋の中は急に静かになった。 白木少佐は翼と拓人に笑みを向けると、小さな声で問い掛ける。 「……川原少尉。どうだ?あの二人の下についた感想は?」 「はい!想像していた『上官』のイメージとは違って、最初は少し戸惑いましたが…………今は凄く楽しくて……充実してます」 拓人の言葉に、白木少佐は笑い声を上げた。 「そりゃあ、あんな上官は他にはいないでしょうね。あんなのばっかじゃ、危なっかしくてやってられませんよ……」 海原大尉も笑いながら言葉を続ける。 確かに、空軍においてあの年齢で隊長とは例が少ないし、陸軍ならば若くして隊長を務める例は多数あるが、昔気質の組織である為すぐ様『修正』されてしま うだろう。 空軍、特にこの基地のパイロットは個性が認められるため、翼にとっては有難かった。 「……まぁ、うちの基地が特別だってのもあるんだよな。東都はエリート意識の固まりみたいなもんだし、南都は『大和男児』発祥の地だろ。わりかしフラン クなのは西都だけど、あそこは言葉がキツイし……うちは北国の分、気性が大らかだと思う」 「うん、俺も同意見だ。俺も東都は水か合わなくてなぁ……」 「僕もそう思いますよ。東都はちょっとね……」 田中教官の言葉に、白木少佐と海原大尉が同意した。 三人とも大和各地を転属して回ってから、ここ北都にやってきた人たちである。 北都基地に来て一週間。 翼はこの『のほほん』とした空気に慣れてしまっている自分に気付いていた。 北の島内以外の基地から来た同期の話を聞くうちに、翼は北都空軍基地を目指して青北訓練基地に入ってよかったと実感する。 厳しい上下関係や細かいルールや規律。 自分達も歩き方や声の出し方、荷物の整理整頓の仕方や入室退出の方法等はマスターしたが、他の基地は怒鳴り声と共に何十回も体に叩き込まれたらしい。 それに比べたら北都は天国だ。もうあそこには戻りたくない。そう話していた体中に傷があった同期は、毎日整備班の訓練に追われているが、最初と比べて段 々と表情が明るくなってきているようだ。 昔話に花を咲かせている上官三人から視線を逸らし、翼は倉木に目を止めた。 テレビのアイドルの様な顔が、退屈そうにふくれている。 先程からまったく会話に入らず、無表情のまま黙り込んでいた。 翼の視線に気付いたのか、倉木は翼を半眼で見つめた。 「……なんだよ?」 「いや、別に……」 何だと言われても、特に用事もなかった翼に答えられる筈もない。 倉木は不快そうに眉をひそめると、横を向いて視線を逸らした。 入隊してから、この倉木ときつい目をした少年・神崎は皆から距離を取っているように思える。 最初は東都特有のエリート意識かとも思ったのだが、どうもそれだけじゃないらしい。 僕、気付かないうちに、また何かやらかした? 思案に耽っている翼の耳に、ドアをノックする音が響いた。 「どうぞ」 白木少佐が素早く答える。 扉を開けて顔を出したのは、友人である水沼綾人だった。 「水沼少尉、入ります。白木少佐、才川司令からの伝言なんですが……」 「なんだい?」 「石月隊長以下、101隊が帰還したそうです」 えっ? その言葉を聞くや否や、翼は綾人の横を擦り抜け廊下に飛び出していった。 それに続く様にして、倉木がゆっくりと部屋を出ていく。 茫然としていた綾人と拓人の二人は、それで正気に返ったようだ。 「ちょっ、ツバサっ!待ってって、おい!」 二人は慌てて翼と倉木の後を追い掛けていく。 その様子を見た上官達は、一斉にため息を吐いた。 ・
「……ああいう所は兄そっくりだな」 「はい、兄より多少捻くれてますが……才能は一級品かと」 海原大尉は目を細めると、田中大尉をじっと見つめた。 「……優さん、なんであの子を101に……いえ、この基地に寄越したんですか?新副司令の思惑があったにしても、貴方ならばあの子を東都にも遣れたはず です。なのに、どうして……」 田中大尉は黙ったまま、窓の外を見つめていた。 窓からは離陸していく編隊の姿が見える。この時間なら105隊だろう。 「……俺は教官として、青北にいただろ?だから、お前達よりは今の志願兵の状況を知ってる。 ……ひどいぜ、今の数字は。陸軍、海軍はもちろん、空軍も若 い兵をどんどん送り出して、どんどん死なせてる。まるで学兵や少年兵は使い捨てだよ」 田中大尉は吐き捨てるように言った。 「だけど、今の状況で人員を下げる訳にはいかねぇし、かといって練度も下げられない。幼年学校も士官学校も板挟みって訳」 教官の話が来たとき、田中大尉は真っ先にそれを引き受けた。 誰だって、子供たちを戦場に送り出す役目などやりたくない。だが、優秀な教官が沢山いれば、子供たちは死ななくて済む。 そう言った田中大尉を、海原大尉は今でも覚えていた。 「……でも、この状況を変える答えは簡単だよ。戦争が早く終わればいい。そしてその為には、使える駒を増やさなくちゃダメだ。 ただ優秀で、優等生で、国 の為に死ぬようなバカじゃなくて、ギリギリの状況で生き残れる、エースを育てなくちゃならない。だから、俺は……」 「……あいつらを集めたのか? 誰の言葉にも惑わされず、自分で考えられる頭を持っている……そんなルーキーを」 白木少佐の言葉に、田中大尉は静かに頷いた。 「……石月には悪い事をしてると思う。だけど、この国でまともなパイロットが育つのはここだけだ……それに、光一の……あいつの弟を、絶対に殺す訳にはい かな いだろ?」 そうだ、翼を殺すわけにはいかない。 田中大尉の言葉に、白木少佐と海原大尉はゆっくりと頷いた。 第三話 1 完 2006年8月4日 掲載 |