第五話
新入隊員


 
 涙を流しながら声を震わせたあの人は、金色の頭を深々と下げ続けた。

 母が、弟が、自分が何度も頭を上げるように頼んでも、あの人はただ黙って頭を下げ続けた。

 兄さん。
 兄さんは一体、何がしたかったの?
 
 皆を置いて、悲しませて、一体どこに行きたかったの?

 兄さんが何を考えていたのかは、ぼくには分からない。
 何で兄さんが、あの雲の向こうに飛び立って行ったのかは。

 だから、ぼくも行くよ。
 兄さんが飛んでいった場所へ。

 兄さんのことを知るために――――
 



 もう何分歩き続けているのだろう。

 青葉翼(あおば つばさ)は先ほどの自分の発言に対して後悔していた。
 基地司令官である、才川(さいかわ)大佐が、折角、「人に送らせよう」と言ってくれたのに対し、「一人で大丈夫です」と辞退してしまったのだ。
 そ のおかげで、現在基地の中を延々とさま よい続けているのである。
 そもそも、この北都基地を、練習飛行隊用の青北基地と同じ規模と考えたのがいけなかった。
 本来の北都基地の面積に、民間空港である新北都空港を借用し、さらに旧北都空港を加えた新しい北都基地は、北部方面隊最大の基地である。
 飛行隊は101飛行隊から106飛行隊までが所属しており、翼は101飛行隊へ、練習生として今日付けで配属されることになっていた。
 ここで最後の教科を 履修するというわけだ。
 青北基地から輸送機で運ばれ、基地指令官に挨拶した後、こうして迷っているわけである。

「はぁ〜、どこにあるんだよ、101隊長室ってのは……」
 どうやら、さっきから同じところをぐるぐる回っているようだ。確か、5分前にも、この『資料室』という看板を見た気がする。
 基地の中は静かで、人がほとんど見当たらない。
 窓の外を見ると、整備兵らしき一団が煙草を吹かしながら芝生で昼寝をしているのが見て取れた。
 
 戦時中には見えないな……。
 翼はそう思った。
 
 しかし、ここは戦場である。
 穏やかで呑気そうに見えても、一度戦いが始まればその空気は一変する。
 突如、基地内にけたたましいサイレンの音が響き渡った。
 
 空襲警報。
 
 基地内が命を取り戻したように活気づいた。
 窓の外を見ると、さっきまで昼寝していた整備兵らしき一団が駆け出していく。
 建物内からも、人々の怒鳴り合う 声が聞こえてきた。さっきまで感じたのどかさは、もう何処にも見当たらない。
 胸がゆっくり押しつぶされていくような感覚。
 それは翼が今まで体験したことがない、戦場という 名の匂いだった。
 不意に真横にあったドアが勢い良く開いて、翼はドアに弾き飛ばされた。
「悪い!!」
 翼を突き飛ばした主は、それだけ言って走り去っていった。さらに複数の足音が続いていく。
 開きっぱなしになったドアを見ると『大和王国国防空軍・第103戦術戦闘飛行隊・搭乗員待機室』と書かれているのが見えた。
 どうやら迷っているうちに、103 隊の棟 の方に来てしまったようだ。

 はっきり言って、とてもまずい状況だ。
 
 103隊は今の空襲警報でスクランブル(緊急出動)がかかったに違いない。
 つまり翼の所属隊である101隊もスクランブルがかかっている可能性が高いのだ。
 練習生の身分とはいえ、このままでは入隊早々、スクランブルに出遅れるということにもなりかね ない。時間厳守を嫌と言うほど叩き込まれてきた翼にとって、遅刻は懲罰を意味する。
「どーしよう……」
 もう悠長に歩いている場合ではない。
 翼は全速力で駆け出した。
 走りながら横目でドアに書かれた表示を見る。だが、『給湯室』『遊戯室』など関係のない名前が続 く。
 勢い良く角を曲がった時、翼は前から人が歩いてきたのに全く気が付かなかった。

 骨と骨がぶつかった様な鈍い音がした。
 
 勢いはこっちがあったにもかかわらず、翼はまたもや弾き飛ばされていた。
 全身が、特に頭が痛くて立ち上がることが出来ない。
「だ、大丈夫ですか!?」
 ぶつかった相手が駆け寄ってくる。
「……大丈夫……」
 なんとかそうつぶやいて、翼は顔を上げた。
 
 相手は翼と同じくらいの年の少年だ。
 
 第五話 1 完

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2005年 6月 18日 掲載