第四話


誇り高き航空兵

 
 もうすっかり暗くなった頃、酒場に飛びっきり陽気な集団がなだれ込んできた。
 
 演奏を続けながら、トトは彼らを横目で見た。
 胸に付けたワッペン、それは彼らが誇り高き航空兵であることを示していた。
 この辺は専ら陸軍の縄張りで、空軍である彼らが来る事は珍しかった。

 彼らに見取れているうちに、店ではもう一つ問題が起こっていた。
「やめて下さい!」
 店の奥から鋭い悲鳴が聞こえる。
 トトは慌てて駆け付けた。
 親父さんの一人娘が陸兵に絡まれていた。だらしなく伸びた手が、娘の腰の辺りに回されている。
「何、声出してんだよ。一緒に飲もうって言ってるだけじゃねーか?」
「離して下さいっ…」
 娘は身を捩って逃げようとするが、陸兵は力が強く、離れることが出来ない。
 気が付けば自然と体が動いていた。
「ぐわっ」
 陸兵が頭を押える。トトが傍にあったビール瓶で、陸兵の頭を殴り付けたのだった。
「早く奥に!」
 トトが叫ぶと、娘はうなずいて走りだす。それを見届けて、トトは陸兵と向かい合った。
 「……いい度胸だな、小僧。上等だ、ぶっ殺してやらぁ!」
 陸兵はトトの二倍くらい大きく見えた。
 大きな拳が向かってくる。
 トトは大きく目を見開くと、ギリギリでそれを躱した。
 陸兵は勢い余って他の座席に突っ込む、その隙にトトはさらに打撃を加えようとした。
 
 次の瞬間、鈍い音が響いた。
 頭がフラフラする。
 トトはその場に倒れこんだ。

「ほらよ、チャップ。捕まえてやったぜ」
 頭の上から声がする。
 どうやら別の陸兵に銃のグリップで殴られたらしい。
「おお、わりぃな」
 起き上がった陸兵は、トトの頭を踏み付けながら言った。
「……よくもやってくれたな、このくそガキが!」

 脇腹に衝撃が走った。
 一瞬息が止まる。
 トトは何とか吐き気を堪えた。

「まてよ、チャップ。こいつ、たしかヴァイオリン弾きだぜ」
 トトを殴り付けた陸兵が言う。
「そうか、そうだったな……」
 デカイ陸兵の顔に嫌な笑みが走った。そのままトトの傍にしゃがむと、トトの右手を掴む。
「腕を折ってやったらどうなるかな……」
 そうしてゆっくりと腕に力をこめていく。腕が悲鳴を上げていた。
 折れるっ。
 トトはギュッと目をつむった。

「やめろっ!」
 
 大きな声が響いて、陸兵の腕の力が緩んだ。
「……その子を放せ」
 また声がする。トトは顔を上げて、声がする方を向いた。
 先程の航空兵の一団、その先頭で、一人の兵士が銃を構えている。
 トトと同じくらいの年だろうか、まだ年若い少年だった。
「……なぜ空軍がここにいる?」
 デカイ陸兵が唸るように言った。
「あいにく、いつもの店が潰れててね。新しい店を探してたってわけ。敵兵受け入れてくれる店なんて少ないからね」
 少年兵は、陸兵から目を逸らさずに答えた。
「……貴様、銃を向けるということは、覚悟して……」
「待て、チャップ!」
 もう一人の陸兵が、言葉を遮った。
「……袖のワッペン、見てみろ……」
 思わずトトも、少年の胸に目をやる。

 黒い犬が描かれたワッペン。
 あの日、兄を落とした飛行機のものとまったく同じだった。
 
 デカイ陸兵が息を呑む。
 「…いくぞ」
 トトを殴り付けた陸兵が言うのに合わせて、周りの陸兵も姿を消していく。
 酒場には、トトと航空兵の一団が取り残された。
「……大丈夫?」
 少年兵が声をかける。髪が黒く、どうやら東洋系の少年のようだ。
「……だいじょ……ぶ……」
 頭がフラフラして気持ちが悪く、吐き気も治まってなかった。
「……ごめん、気付くのが遅れて……ホントに大丈夫?」
 抱き起こそうとした少年兵の手を、トトは振り払った。
「……っ……」
 脇腹に痛みが走る。たが、トトはどうしてもこの少年の手を借りたくはなかった。
 少年兵のほうを見ると、ひどく哀しげな瞳でトトを見ていた。
 その目は、まるで叱られた子供のようだ。
 トトはその場を離れると、航空兵達は脇に避けてトトに道を開けた。

 トトの頭はあのワッペンで一杯だった。
 思いがけない所で出会った、兄の仇。
 その事実に、頭が心についていかなかった。

「トトっ!」
 店の奥から親父さんが飛び出してきた。トトを抱き締めると、航空兵達に向かって叫ぶ。
「お前ら、何をしたんだ!」
 親父さんの目は怒りに震えていた。
 航空兵達の中から、隊長とおぼしき男が歩み出て、こちらに頭を下げる。
「…申し訳ない、我が軍の者が失礼をした。私の方から司令部に連絡して、然るべき処分を……」
「そんなことはどうでもいい!」
 親父さんがそれを遮った。
「…この子に何かあってみろ、町中が黙っちゃいないぞ……」
 親父さんは絞りだすように言った。
「…………」
 沈黙が続く。
 それを破ったのは、娘だった。

「お父さん!その人たちは違うっ!!」
 
 娘が親父さんからトトを引き剥がしながら言い、そのままトトを手元に引き寄せる。
「この人たちは逆!助けてくれたのっ!!」
 親父さんの目が丸くなった。
「……トト、本当か?」 
「……はい、助けてもらいました」
 まだフラフラする頭で、トトはなんとか言葉を吐き出した。
「ね、わかった!?」
 娘が畳み掛けるように言う。
「あ、ああ……」
 親父さんは罰の悪そうに頭を掻くと、「悪かったな……」航空兵の隊長に向かって呟き奥に引っ込んだ。
「さあさあ、お客さんも座って!助けてくれたお礼に、今日はサービスするからね!」
 娘が声を張り上げると、航空兵達から歓声が揚がった。

「トト、本当に大丈夫……?」
 後ろを振り向くと、手に救急箱を抱えたおかみさんが立っていた。その後ろには、水の入ったコップと氷をもった親父さんが立っている。
「……ほら、蹴られた所見せなさい」
 おかみさんがトトのシャツをめくると、蹴られた所は青くなっていた。
「ひどいね……」
 おかみさんは慣れた手つきで湿布を貼り、治療していく。
「トト、とりあえず水飲んで、氷当てとけ」
 親父さんがコップを差し出した。
「……ありがとうございます」
 トトが言うと、おかみさんは笑いながら言った。
「……お礼を言うのはあたしらの方、ありがとう、トト」
 おかみさんはトトににっこりと笑いかける。
「……まだ頭フラフラするでしょ?今日はうちに泊まりなさい」
「そんなっ、迷惑かけるわけにはいきません」
「そんな青い顔して何言ってんの、とりあえずここに座ってなさい。今準備してくるから」
 おかみさんはやさしく言うと、奥に下がっていく。
「……遠慮するなよ、トト。勝手に帰ったら、家まで連れ戻しに行くからな」
 注文を受けて戻ってきたおやじさんが言い、娘がそれに続いた。
「ありがと、トト。これはお礼」
 そう言うと娘はトトの頬にキスをする。
 それを見た航空兵達から歓声があがるのを、親父さんは無言でそれを睨み倒した。



 店内は再び活気づいてきた。
 
 トトは親父さんからもらった氷を頭に乗せて、目を瞑っていた。ひんやりとした感覚が気持ちよく、そのまま眠りに落ちてしまいそうだ。
 だが、そんなトトの耳に、すぐ傍で椅子のきしむ音が聞こえてきた。
 見ると、先程の少年兵がテーブルを挟んで目の前に座っている。こちらの顔色をうかがうように、じっとトトを見つめていた。
「あ、えっと、あの……」
 トトが目を開けたのを確認すると、少年兵は何かを喋ろうとしている。
「……さっきは、ありがとうございました」
 先手を打って、トトがお礼を言うと、タイミングを逃した少年兵は黙り込んでしまった。
 何しに来たのだろう、単純に興味がわいた。
「……頭、ホントに大丈夫?」
 やがて、少年兵はぽつりと呟いた。その様子はひどく頼りなさげで、トトのほうが心配になる。
 
 もしかして手を振り払ったことを気にしてるのかな……。
 トトはそう思ったが、すぐにその考えを打ち消した。
 占領兵が、いちいちそんなことを気にするはずがない。
 
 空気を変えるように、トトは少年兵にリンゴを差し出した。
「……食べますか?」
「えっ?これ、りんご……?」
「はい。二個ありますから、どうぞ」
 少年兵は驚いたようだったが、やがてリンゴを受け取った。
 トトはリンゴを頬張る。
 少し古くなっていたが、まだ身がしっかりしていて、蜜も入っており、おいしいリンゴと言えた。
 頬張りながら、目の少年兵を観察する。
 自分とそう年は変わらないだろう。
 だが、この少年が兄を落としたあの飛行機のパイロットなのかもしれないのだ。
 少年兵はじっとリンゴを見つめている。
「…別に、毒とかは仕込んでませんよ」
 トトが思わず言うと、少年兵ははっとしたように顔を上げた。
「えっ、あっ、いや、別に疑っていたわけではなくて……、ちょっと知り合いのことを思い出してた……」
 そう言うと、少年兵はリンゴを頬張る。
 そして。
「おいしい……」
 そう、一言呟いた。

「……それで?」
 トトは問い掛ける。
「えっ?」
「何か僕に用があるんじゃないですか?」
「ああ、そうだった……」
 少年兵はリンゴを飲み込むと言った。
「……あの、ヴァイオリン弾くんだよね?」
「はい」
 見りゃわかるだろ、という言葉を押し込めてトトは答える。
「俺達と合奏しない?ちゃんとチップは払うからさ……」
 そう言って少年兵は懐からハーモニカを取り出した。
「……それと?」
 トトは思わず聞き返す。
 「あっ、やっぱり無理かな…?」
 少年兵はハーモニカを見つめている。やって出来ない事はない、トトはそう判断した。
「……いいですよ」
 トトがそう言うと、少年兵は弾けたような笑顔をトトに向けた。
「ホント!?やった、隊長、OKですって!」
少年兵の言葉に、先程、親父さんに謝罪した男が手を挙げて答えた。
 やはり隊長だったらしい、手にはギターを持っている。
「行こう!」
 少年兵がトトに手を伸ばす。目を見ると、驚くほど真剣な顔をしていた。
 その手を掴むと、トトはゆっくりと立ち上がった。
 ヴァイオリンを掴み、航空兵達の前に出る。

 指笛の音が響いた。
 隊長が出てきて、トトの右隣に椅子を置いて座り、その左隣には少年兵が立った。
「何を弾くんですか?」
 トトは小声で尋ねる。
「曲名わかんないんだよね、読めないし、拾ったレコードの曲だから。僕達が弾くから、それに続いてくれる?」
「わかりました」
 初めて聞く曲でも、ついて行く自信はあった。

 やがてギターの音が響き渡る、それに合わせてハーモニカの美しい音色が聞こえてきた。
 トトは思わず固まってしまったが、すぐに演奏を開始した。
 初めて聞く曲ではなかった。

 あの曲だ。
 トトの父がまだ生きていた頃、星を観に行った時によく弾いた、あの曲だった。
 トトがヴァイオリンを弾き、兄が歌い、それを父が聞く。
 トトにとって思い出の……。

 トトは夢中になって弾いた。
 兄がいなくなってからは、一度も弾いてなかった。
 楽しかった思い出が蘇ってくる。
 
 いつの間にか、歓声が聞こえなくなっていた。
 航空兵達は黙って曲に聞き入り、その横には親父さんとおかみさん、そして娘が立っていた。
 それだけではない。店の前の道を通りすがる人がこちらを覗き込み、つられるように中に入ってくるのだ。
 占領兵と町の住民で、酒場は超満員だった。

 曲が終わると、割れるような拍手が響いた。
 観客の中から次の曲を催促する声が続く。
 三人は頷き合うと、それに答えるように曲を弾き始める。

 深夜を過ぎるまで、『演奏会』は続いた。

 第四話 2 完

第四話 1へ 第五話へ 目次へ


2005年7月28日 掲載