第四話
ヴァイオリン




 小さいの頃、よく星を観に行ったことを覚えている。
 
 飛行気乗りだった父は、星を観るのが大好きだった。
 よく僕と兄を連れて、夜な夜な天体観測に出かけた。
 幼くして母を亡くした僕にとって、父と兄は唯一、心の休まる場所だった。
 望遠鏡を覗く父のそばで、僕は得意のヴァイオリンを弾き、それに合わせて兄が歌を歌う。
 ずっとこのままの日々が続くと思っていた。

 まさか、僕の国が戦争を起こすなんて、思ってもいなかった……。

 7年前、世界に向けて戦いを挑んだ僕らの国は、猛々しく戦い、そして惨敗した。
 夢想家の政府首脳に付き合って、何万もの国民が死んだ。

 兄の友人も、僕の友人も、そして……僕らの父も。
 国を挙げての徴兵政策が続く中、父は決して僕らの志願を許さなかった。
 今思えば、父には見えていたのだろう、あの戦いの結末が。
 
 息子を志願させずにいる父は、軍部の中でも白い目で見られていたらしい。
 優秀な戦闘機乗りだった父は、部下を救うため、大量の敵機の中最後まで雄々しく戦い、二度と地上に降り立つことはなかった。
 まもなく戦争は終わり、連合国の指導の下、政府は戦争放棄と永世中立国を宣言。
 世界に平和が訪れた。
 
 もう父の犠牲など誰も覚えていない。

 戦後、兄は国防空軍に志願した。
 両親を失った子供が食べていくには、方法はそれしかなかった。
 兄は父と同じく、決して僕の志願を許さなかった。
 僕は金を稼ぐため、町に出てヴァイオリンを弾き、僅かなチップを家に持ち帰った。

 兄と二人きりの生活、貧しいながらも、やっと訪れた安息の日々。
 だが、神はそれすらも許さなかった……。

 突如攻め込んできた敵の軍隊。
 
 戦争放棄と融和政策。
 そんなものは彼らの題目に過ぎなかった。
 町が西から来た彼らに占領されるまで、三日とかからなかった。
 
 兄は父と同じく果敢に戦った。僕はそれを見ることが出来た。

 次々と落とされて行く味方機、そんな中、最後まで飛び続けた兄の機体。
 僕と一緒に戦う、そう言った兄は、父と同様に、ヴァイオリンをパーソナルマークにしていた。
 最後に力尽き、撃墜されたヴァイオリンのマーク機体。
 
 兄の墜落を見納めるように飛んでいた機体の尾翼に、伝説に登場する黒い犬が描かれていたことを、僕は、生涯忘れない。

 僕は相変わらずヴァイオリンを弾いている。
 家に帰っても、兄はもういない……。



 教会の鐘が鳴っている。
 
 トトはゆっくりとその目を開いた。窓から射し込む夕日が眩しい。
 いつの間にか眠ってしまったようだ。
 早く行かなくては、酒場の開店時間に間に合わない。
 夕方から夜の十一時頃までは、敵の占領兵が集まる時間だ。それを過ぎると彼らは去り、代わりにこの町の人間が現れる。
 領土も、誇りも、仕事を失っても、酒というものを止める事は出来ないらしい。
 チップをくれるのは、金を持っている敵の占領兵だけだ。
 時間一杯まで弾いても、稼げるチップは限られている。時間を無駄にするわけにはいかなかった。

 起き上がりヴァイオリンの準備をする。
 兄を失って以来、これがトトの唯一の生きていく手段だった。
 町の治安は、もはや最悪としか言い様がない。しっかりとドアに鍵を掛けると、トトは家を出た。



 坂道が多い石畳の道を、トトは飛ぶように駆けていく。
 広場を抜けると酒場街はすぐ傍だった。
 
「トトっ!」
 名前を呼ばれてトトは振り向いた。
 見ると果物売りのおばさんが手を振っている。
 このおばさんはいつもリアカー一杯に果物を積んで、広場で売っている。
 何処にでもいるおばさんという感じだが、実はトトの父と同僚だった元軍人であり、現役時代は諜報部のトップだったらしい。
 
 今はホントに、ただのおばさんにしか見えないけど……。
 前々からトトはそう思っていたが、決して口には出さなかった。

「これ、持って行きなっ!」
 おばさんはリンゴを二つ投げてよこす。もう夕方なのでリアカーはほとんど空のようだ。
「サンキュ、おばちゃん!」
 トトはリンゴをポケットに突っ込むと、おばさんに右手を挙げて、走り続ける。
 すぐに酒場が見えてきた。
 ここの親父さんも父の昔からの知り合いで、お客にヴァイオリンを聴かせることを特別に許してもらっている。
 店に着くと、丁度お客が入り始める時間だった。
 親父さんに挨拶をして、準備を始める。
 
 今日も『演奏会』が始まった。
 
 第四話 1 完


2005年7月28日 掲載