第一部 反撃の予兆

序章 誇り高き航空兵

第一話 
ブラックキャット



2003 年4月2日 午前 2時46分 大和海 南都飛行場沖
 
 
 どうしても欲しいものがあった。
 だが、今はそれに魅力を感じはしない。

 何かを得ることより、何かを守ることの方が余程難しい。
 そう、知ってしまったから。

 後悔は何も生み出さない。だが、俺は後悔する事しか……できない。





 暗闇の中、エンジン音が低く響いている。

 遠くの方にぽつらと灯る光は、漁船だろうか。
 頭上には星が広がり、雲一つない星 空だ。三日月がちょうど目の前で輝いている。
 石月裕一は手元のモニターを操作する。青白い光が頬を照らした。
 機体に異常はない。先程の戦闘の傷もなく、エ ンジンは快調な音を奏でている。

《隊長、このまま帰れるといいですね》
 すぐ横を飛ぶ、副長の三村遼一が通信を入れてきた。
「ああ、久しぶりだし、無駄玉を使い すぎた」
《久々に四人揃ったと思ったら、早速こうですからね。ホント、人使いが荒いんだよなー》
 三村が不満げに言う。
《そんだけ人手が足りねぇんだろ、俺 たちまで駆り出すなんてさ》
 やや後ろを飛ぶ田島雄太が、軽い口調で言った。
《……飛ぶなって言ったり……飛べって言ったり……ややこしいよね……》
 一番後方、 真後ろを飛ぶ大橋廉司も、半ば諦めたように言う。

 上の気紛れな命令で苦労するのは、大抵現場の人間である。
 小隊長など中間管理職みたいなもので、自分の部下の 隊員と、整備などの連中や基地司令の間で板挟みの毎日だ。

《……こちら北都基地、ブラックキャット、聞こえるか?》
《うわっ、嫌な声が聞こえやがった》
 基地からの通信に、田島が声を上げる。
《嫌な声で悪かったなっ!こっちだって言いたくて言ってるわけじゃないやい!》
 司令部の小村が声を上げた。
「こちらブラックキャット・ワン、ストーンヘンジ。進之介、何かあったか?」
《あっ、悪い、石月さん。国籍不明機が複数こちらに向かってくる。方位は南都を起点に275から82へ》
 嫌な予感的中。小村には悪いが本気で殴ってやりたい。
「……俺たちに行けと?」
《うん、頼む》
「おいおい勘弁してくれ。こっちは一戦交えたばっかなんだぞ。南都から出させてくれ」
《そうもいかないんだよ。 一昨日、南都の奴らこてんぱんにやられて、飛べる状態じゃないんだって》
 はい?
 そう言葉が出かかった。
 戦況を考えて、今は対面を気にしてる場合じゃない。 報告が遅れれば、それだけこちらに負担がかかるのだ。
「あらかじめ言っとけよ……」
《ホント、今、司令が南都を怒鳴りつけてる》
 司令もさすがに堪忍袋の尾が 切れたのだろう。南都を締め上げるのは、司令に任せておけばいい。
「102は?」
《五分待機だったから、直ぐに出る。あと二分》
「五分待機で本当に五分掛けるなっ、三分で出せ!」
 出来れば、補給 なしの連続戦闘は避けたい。
 ただでさえ、今日のスクランブルは先程の戦闘で二回目だ。だか、間に合うのは自分達だけだった。
《石月さん、あんたの部隊しか 間に合わない》
「……わかった、各機現状報告」

《……ブラックキャット・フォー、ブリッジ。……ミサイル残弾1……被害なし……以上……》
 四番機の大橋か ら通信が入る。

《こちらブラックキャット・スリー、ライスフィールド。被害なし、ミサイルは一発しか残ってねぇぞ》
 三番機の田島だ。

《こちらブラック キャット・ツー、ヴィレッジ。被害なし、ミサイル残弾数2。フェニックス使っていいならフルで余ってますけど?》
 最後に二番機の三村から報告が入る。

《ちょっと待って、三村くん。……司令ーっ、フェニックスはー!?》
 小村の怒鳴り声が聞こえてきた。
 
 フェニックスミサイルは射程も長く高性能なのだが、何 しろ値段が高い。
 早々簡単には使えない。

《……司令から返事。『極力避けろ』って。……『極力』だから危なかったら使えよ》
 小村が言う。最後は司令に聞こえないように言ったのだろう、囁くような声だ。
《ふふっ、了解です》
 三村が軽く笑いながら返答する。
「よし、全機スタンバイ完了。これより国籍不明機の迎撃にあたる。増援頼むぞ」
《了解、102は今、 ハンガーを出た。……ブラックキャット、幸運を祈る》
「サンキュー、北都基地」

 機体を反転させ、進路を変更する。
 エンジンの出力を上げると、その振動が体 に伝わってくる。
 あと三分もすれば、敵機がレーダーに表示されるはずだ。

《フェニックスはめんどくさいんだよなぁ……》
《本来一人でやるものじゃないです からね》
《……この機体も……もう古いしね……》
 三人の声が聞こえる。
 もし陸軍ならば即座に懲罰が待っているであろう無駄口が許されるのも、空軍の、それも大和では数少ないパイロットだからであろう。勿論、他の基地のパイ ロットはここまで軽くはないだろうが。
 石月は、常に変わらず平常心である……正しく言えば常に無駄口を叩き合っている部下を頼もしく思った。
 レーダーの範囲を広げると、上方にいくつかの点が見えてくる。
「来たようだな。前方、距 離は約150だ。100に入ったらフェニックスでロックしろ」
《使うのか?》
「はったりだ、逃げ帰ってくれれば儲けもんだがな」
 点は徐々に近づいてくる。
「雄太、一応呼び掛けろ」
《俺がか?》
「お前が一番口がうまい」
《はいはい、そりゃどうも》
 渋々といった感じで、田島は声を上げる。

《……あーっ、こちらは大和王国国防空軍だ。貴隊は領空を侵犯 している。同盟国、中立国機ならば、直ちに返答されたし。繰り返す、こちらは……》
 無線の向こうは沈黙したままだ。

《クロっぽいですね》
《……うん……ク ロだね……》
「しょうがねぇ、レーダーロックしろ」
 不明編隊はレーダーで見る限り四機編成だ。
 もっとも、機体が近すぎると、重なって見えないことがあるので正確とは言え ない。
 敵はさらに近づいてくる。
《ハッタリは効きませんでしたね》
「元から期待はしてない。各機、アラームに切り替えろ」
 
 アラームも射程が長く高性能だが、フェニックスよりは価 格が安い。

《先制で撃ちますか?》
「ああ。北都基地、交戦許可を求む」
 形式に則って、石月は交戦許可を求めた。許可なしでの交戦は固く禁じられている。
 だが、基地からの返事は信じられないものだった。
《ちょっと待て!》
「司令か?どうした?」
 無線に出たのは小村ではなく、司令の才川大佐だった。
《東都から 連絡で、不明編隊のルートがわかった。バルカ王国領空から飛来したらしい》
「バルカぁ?」

 バルカ王国は中立国だ。
 南の大陸に位置し、連合国側を支持するか、それともオックスバルトにつくか動向が注目されている。

《衛星が捉 えていた。もっとも、オックス機がバルカ領空を通過した可能性もある。至急確認しろ》
「……了解」
 これで、不明機の射程に入る必要がある。
《確認って、こ の暗い中どうするんですか?》
「命令だ、やるしかなかろう……雄太、呼び掛けを続けてくれ」
《りょーかい》
「三村、不明編隊は?」
《距離50、高度500、依然として低空飛行を続けています》
「わかった、上昇して高度8000を維持、一旦やり過ごしてからケツを取るぞ」
《……フォー……了解……》
 こちらから撃てない以上、正面 から行くのは分が悪い。低空飛行を続けている以上、急上昇は出来ないはずだ。

《不明編隊、依然として応答なし。ぜってークロだぜ、こいつら……》
《進路、 変わりません》
《……国境を……完全に通過……領空侵犯……成立……》
「了解、こちらもこのままの進路を維持、やりすごすぞ」

 不明編隊を表すレーダー上の 点が、一歩一歩近づいてくる。

 だが、まもなくすれ違うというところで、突如レーダー上の点が動いた。
    
   第一話 1 完

2005年12月30日 掲載