第二話

2
旅立ち


「……そんな膨れっ面だと、顔が戻らなくなるよ」
「……」
 ウィルの言葉を、アルトは目線を向けるだけで黙殺した。

 病室には香ばしいパンの薫りが漂っている。
 焼きたてのパンを皿に並べながら、アルトはポツリと言葉を発した。
「……放っといてよ」
 寝不足なのか、泣き明かしたのか、目蓋は腫れぼったく目は赤くなっている。それでも料理に手を抜かないのは、主夫としての誇りからだろうか。
「……ブレイズ達は?」
「ギルドに行ったみたいだよ」
「ふーん……」
 アルトは口を動かしながらも、手早くウィルを診察してゆく。
 そこらの医師より、よっぽど頼りになる事は確かだ。

「し、試験はいつだっけ?」
「代わりの医者が来たら、王都まで受けに行くよ。学科はもう受かってるから、後は実技だけだし」
「……ほ、ほら、だからだよ! ブレイズが連れていかないのは! アルトに医者になって欲しくて……」
「そんなの関係ないっ!」
 アルトの声が診療所中に響き渡った。
 隣の病室から何かを引っ繰り返したような金属音が聞こえてくる。
 隣の病室の傷だらけの騎士。
 彼の心臓が止まっていないかとウィルは心配したが、アルトは激昂したままウィルを睨み付けてくる。
「傍にいるって言ったんだ! 『お前が俺を必要としなくなるまで、ずっと傍にいる』って……兄さんはそう言ったんだ! ……約束……したのにっ」

「……アルト、ごめんね」

 不意に、部屋のドアの方から声が聞こえてきた。
 アルトとウィルが振り向くと、そこには俯いたまま立ち尽くしているルナの姿がある。
「私が父さんに頼んだんだ。先生に護衛を依頼してほしいって。だからっ……」
「……ルナは悪くないよ」
 ルナの言葉を遮る様にして、アルトがポツリと呟いた。
 ウィルもベッドから降りると、ルナの前まで歩いていく。
「それなら、ボクも同罪だよ。ボクが元気だったら、ブレイズはアルトを……もしかしたらボクも連れていったかもしれない。ルナが悪いっていうなら、ボクも 悪いってことだよね?」
「……やめてよ」
 見つめ合うウィルとルナに向かって、アルトは言葉を発する。表情は冴えなかったが、少しは落ち着きを取り戻したようだ。
「……二人は悪くないよ。ウィルもルナも僕の数少ない友達だもん、ルナの護衛に兄さんが就いてくれれば安心だし、僕がウィルに必要なのも嬉しいんだ。これ は僕のワガママだから……二人は気にしないでよ」
  アルトははっきりと、だが、決して二人の顔を見ないようにしながら言葉を発した。

 理屈では、アルトもわかっているのだ。
 しかし、二人を恨む心が全くないと言い切れるほど、アルトは大人ではない。
 理屈じゃなく、心の奥底から沸き上がってくる言葉。
 もしかしたら、それが顔に出てしまうかもしれない。
 アルトは二人の顔を見ることは出来なかった。

 長い沈黙の後、ルナがポツリと言葉を発した。
「……アルト、ウィル。ちょっと付き合ってくれないかな?」
「えっ……」
「最後に、行きたい所があるんだ」

・

「なぁ、先生」
「なんだ?」
 男の言葉に、ブレイズはゆっくりと目を開いた。
 椅子の背もたれに寄り掛かったまま、視線だけを上に向ける。

「あの子供……あんたのお目に懸かったのかい?」
「どうしてそう思う?」
「ギルドのブレ イズといやぁ、カイゼルじゃぁ名が知れ渡ってる……いい意味でも悪い意味でも、だけどなぁ。あんたに入門したいってやつぁ山程いるってぇのに、弟子はめっ たに取りやしねぇ。……ってことは、あの子供が余程気に入ったって事じゃねぇのかい?」
「……謝られたからな」
 ブレイズはポツリと呟いた。
 男は首を傾げた まま、じっとブレイズを見つめている。
「……ルナの話が本当なら、あの子は古い知り合いからの預かりものだ。まさかとは思ったのだがな……」
 ブレイズは軽 く息を吐くと、顔を上げて窓の外を見つめた。
「まったく、どいつもこいつも。面倒ばかり人に押しつけおって……」
 そう言ったまま、ブレイズはゆっくりと目 を閉じる。
 何かを思案しているのか、その表情は硬く、一切の質問を拒絶するようにさえ見える。

《まぁ、しょうがないんじゃない?  アンタはそういう性格なんだし》
《頼まれたら断れんのだろう。難儀なものだ》
「……やかましい」
 この者達は暇さえあれば人にちょっかいを出してくる。
 いい加減慣れはしたが、少しは自分の役目を果たせとも言いたくなってくる。
 頭の奥で響く声を聞きながら、ブレイズは深い思考へと沈んでいった。

・

「……いい眺めだね」
「ああ、そうだろ?」
 ライトの言葉に、カイルは笑みを浮かべて言った。

 山道をひたすら登り辿り着いた、クルト山の頂上。
 眼下にはクルトの町並が広がり、少し離れた所にある港、沖に漁へ出た漁船など、遠くまで景色を見渡すことが出来る。
 風は相変わらず潮の香りを帯びてはいる が、この頂上ではクルトの実の柑橘系の香りがそれに勝っているようだ。
「……ここ、わたしのお気に入りの場所なんだ」
 いつの間にか隣に並んでいたルナが、 呟く様にして言った。
「いい所だね……」
「うん。わたしも色々な所を旅したけど、ここが……わたしにとっては一番」
 ルナの発言に、すぐ後ろに立っていたア ルトが軽くため息を吐く。
「……あのね、ルナ。その旅慣れてるってのが問題なんだよ。どこの世界に家出が趣味の聖女がいるのさ」
「家出って……ええ!?」
  思わず声を上げたライトに向かって、ウィルがニヤニヤしながら言葉を発した。
 「ルナはねー、結構マイペースなんだよ。フラフラ〜ってどっか行っちゃうし、 いつのまにか帰ってくるし。そうして、そのたびにバキンズさんやブレイズに怒られてるってワケ」
「閉じこもってるのはイヤなの!」
 ルナが軽く口を尖らせな がら言う。
 それを見たアルトが思わず吹き出し、ウィルもケラケラと笑い声を上げる。
「ホント、緊張感ねーなぁ……」
 カイルが呆れたように言った。
 だが、そ う言いながらも目が笑っている。

 別れだという事は、皆が分かっているのだ。
 それぞれ思うことも、きっとあるのだろう。
 心の奥は、心配や不安で一杯で……そ れでも、お互いに笑顔で別れようとしている。

 アキト……あの後、大丈夫だったか。
 ぼく、必ず帰るから……それまで待ってて。

 親友に思いが通じることを祈りながら、ラ イトはそっと目をつぶった。

・

 見送りの人々が詰め掛けた村の入り口で、ルナは村人に向かって深々とお辞儀をした。
 バキンズは涙ぐみながら愛娘を抱き締め、 護衛騎士団を率いていた男は聖女に対し供を出来ぬ事を深く詫びた。
 ルナは時に聖女として、時に領主の娘として、その表情を変えた。

 やがてブレイズに促され、ルナが人々に背を向ける。
 別れを惜しむ声と、旅の無事を祈る声。

 村人の声が聞こえなくなるまで、ルナの表情は険しいままだった。



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 2006年11月5日更新